有馬 浅雄(ありま あさお、明治17年〈1884年〉2月15日[1] - 昭和18年〈1943年〉10月6日[2])は、日本の政治家。衆議院議員

有馬浅雄

来歴 編集

長野県上伊那郡伊那部村(現伊那市)生まれ。明治41年(1908年)に上京し、東京府滝野川町役場の吏員となる。後に助役、町長に推挙され、東京府会議員となる。

東京府税務協議会長、東京府五郡町村互助会長、大日本消防協会理事、帝都教育会理事など各種団体の役員、顧問、相談役に就任して奔走し、九十九里漁業会社などの企業重役も務める。

昭和7年(1932年)第18回衆議院議員総選挙に長野県3区から出馬し当選、同年東京市会議員に当選。同11年(1936年)に政界を引退し、大政翼賛会東京支部常務員となったが、太平洋戦争中の同18年(1943年)に没した。

脚注 編集

  1. ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、18頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』29頁。

出典 編集

  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。