朦朧体
朦朧体(もうろうたい)または、縹緲体(ひょうびょうたい)は、明治時代に確立された没線彩画の描絵手法。
名称の由来 編集
日本画の新しい表現の試みであったが、明瞭な輪郭をもたないなど理解されず評論家からは悪意をもって呼ばれた。
概要 編集
岡倉覚三(天心)の指導の下、横山大観、菱田春草等によって試みられた没線描法である。洋画の外光派に影響され、東洋画の伝統的な線描技法を用いず、色彩の濃淡によって形態や構図、空気や光を表した。絵の具をつけず水で濡らしただけの水刷毛を用いて画絹を湿らせ、そこに絵の具を置き、空刷毛で広げる技法、すべての絵の具に胡粉を混ぜて使う技法、東洋画の伝統である余白を残さず、画絹を色彩で埋め尽くす手法などが用いられた[1]。
影響 編集
西洋絵画の浪漫主義的風潮を背景とした造形と正面から対峙し、日本画に近代化と革新をもたらした。
朦朧体によって生じる混濁した暗い色彩は、評論家から「幽霊画」と酷評されていた。この弱点を克服すべく大観と春草は、欧米外遊の際、発色の良い西洋絵具を持ち帰り、没線彩画描法を考案した。菱田春草の《落葉》や《黒き猫》。
横山大観の《流橙》や《群青富士》等、その後の傑作へと繋がる明瞭な色彩表現を可能にし、大観と春草の試みはようやく肯定的な評価を得るようになる。
欧米においては,西洋画家のジェームズ・マクニール・ホイッスラー〔James McNeill Whistler〕(1834-1903)の「ノクターン」シリーズになぞらえて評価された[2]。
作品例 編集
横山大観[3]
菱田春草[5]
脚注 編集
参考文献 編集
- 『日本国語大辞典』
- 『国史大辞典』
- いずれも「朦朧体」の項目に用例や命名のいきさつが書かれている。
- 佐藤志乃『「朦朧」の時代―大観、春草らと近代日本画の成立』人文書院、2013年
- 田邉咲智「菱田春草の欧米遊学と朦朧体」『東アジア文化交渉研究』第13巻、関西大学大学院東アジア文化研究科、2020年3月31日、81-102頁、ISSN 18827748。
- 中野慎之「朦朧体の再検討」『京都美術史学』3、2022年