木俣 守将(きまた もりまさ)は、江戸時代近江彦根藩筆頭家老。木俣清左衛門家の第7代当主。

 
木俣守将
時代 江戸時代
生誕 元文2年(1737年
死没 寛政9年1月25日1797年2月21日
別名 通称:大隅、土佐
主君 井伊直定直禔直幸直中
彦根藩
氏族 木俣氏
父母 父:木俣守貞
守前
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家系 編集

木俣清左衛門家は、徳川家康の家臣で井伊直政に与力として付けられ、後に、彦根藩井伊家の筆頭家老となった木俣守勝に始まる家。楠木正成の孫正勝の末裔を称す。姓は橘氏家紋は三つ盛鱗。

代々の当主は、「土佐」「清左衛門」を通称とし筆頭家老を務めた。特に、3代守明、5代守盈、10代守彝は執権職(幕政では大老に相当)に就いている。知行高は1万石。

12代畏三が、明治33年(1900年)に男爵に叙されている。

生涯 編集

元文2年(1737年)、彦根藩筆頭家老木俣清左衛門家の嫡男守貞の子として生まれる。延享5年(1748年)8月、父守盈の死去により家督相続し、彦根藩筆頭家老となる。

宝暦5年(1755年)に藩主となった直幸は、筆頭家老の守将を勝手方倹約取締頭取に任命し、藩の財政改革を推進させた。宝暦11年(1761年)10月、積銀仕法に反対する愛知川筋の農民の一揆(積銀騒動)が発生し、責任を問われて閉門処分を受けた。

寛政9年(1797年)1月25日死去。享年61。家督は嫡男守前が相続した。

参考文献 編集