木村 専一(きむら せんいち、1900年 - 1938年4月12日[1])は、日本の写真編集者、写真家

写真家・森芳太郎に写真を学ぶ。

1923年にオリエンタル写真工業に入り、1924年創刊された写真雑誌「フォトタイムス」の編集主幹となった(オリエンタル写真工業宣伝課のなかにフォトタイムス社が設けられた)。1925年頃から、同誌上に「モダーン・フォトセクション」というコーナーを設けて、欧米の写真の新動向を紹介し、日本の写真に大きな影響を与えた。

1930年には、堀野正雄渡辺義雄らとともに新興写真研究会を結成し、会長として、新興写真の振興に努めた。

1931年から1932年にかけて、山田英吉、中山正一、安本江陽とともに渡欧・渡米し、現地の写真の状況を視察した(バウハウスも訪問した)。その間、ラースロー・モホイ=ナジマン・レイウンボらの300点以上の写真作品を取得し、帰国。フォトタイムスにこれらの写真作品を掲載しつつ、視察状況を紹介した(1932年12月号から1934年3月号まで)。なお、現在、これらの作品の一部は、東京都写真美術館に所蔵されている(「木村専一コレクション」)が、展示等によりその全貌が紹介されたことはない。

1934年には、オリエンタル写真工業を退職し、武蔵野写真学校を創立した。

脚注 編集

  1. ^ 『写真月報』第43巻第5号(写真月報社、1938年)p.123

参考文献 編集

  • 金子隆一・新興写真研究会についての試論・東京都写真美術館紀要第3号(2002年):以下の資料を含む
    • 資料1. 機関誌『新興写真研究』総目次
    • 資料2. 新興写真研究会会員一覧
    • 資料3. 新興写真研究会展
  • フォトタイムス写真選集・木村専一編・フォトタイムス社・1926年
  • 写真の歴史入門・第2部「創造」・モダンエイジの開幕、藤村里美・東京都写真美術館監修、新潮社、2005年

関連項目 編集