本多政康

日本の江戸時代中期~後期の武士。加賀藩士本多政則の子で、同藩家老本多政恒養子。本多図書家3代当主

本多 政康 (ほんだ まさやす、享保17年(1732年)- 寛政12年9月26日1800年11月12日)) は、加賀藩家老、人持組本多図書家第3代当主。

父は本多政則。養父は本多政恒。子は本多政養通称は図書、刑部。家紋は「丸ノ内本ノ字」。

生涯 編集

加賀藩士本多伊織政則の子として生まれる。家老本多政恒の養子となり、宝暦10年(1760年)に養父の死去により家督と知行1万1000石を相続する。明和8年(1771年)4月、藩主前田重教後桃園天皇即位式の御賀使を命じられ上京する。安永6年(1777年)、家老となり藩主前田治脩に仕えた。寛政9年(1797年)閏7月、隠居して家督を嫡男の政養に譲る。隠居領として700石を受けた。

寛政12年(1800年)9月26日死去。享年69。

参考文献 編集

  • 「加能郷土辞彙」