本田 朝次(ほんだ あさじ)は、日本のテニス選手。1924年パリオリンピックに出場した。

経歴 編集

1924年パリオリンピックに出場した4人の日本選手の1人で、男子シングルス (singles eventと男子ダブルス (men's doubles eventに出場。当時本田は三井物産社員で[1]、香港に駐在していた[2](三井物産社員では岡本忠もパリオリンピックのテニス競技に参加している)。もともとオリンピックには太田芳郎が出場する予定であったが、病気のため不参加となり、代わって本田が出場したという[2]

シングルスでは、1回戦でジャン・ボロトラに敗れた。ダブルスでは福田雅之助と組み、2回戦に進出した[3]

脚注 編集

  1. ^ 束原 2013, 258頁.
  2. ^ a b 第1回全日本選手権開催、国際庭球連盟に加盟”. 日本テニス協会. 2021年8月21日閲覧。
  3. ^ Olympic Sports – Athletes – Asaji Honda”. sports-reference.com. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月24日閲覧。

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集