杉田 力之(すぎた かつゆき、1942年(昭和17年)10月13日 - 2008年(平成20年)3月30日)は、日本の銀行家。神奈川県出身。第一勧業銀行会長兼頭取、みずほホールディングス初代社長、みずほフィナンシャルグループ名誉顧問、日本カントリークラブ理事長などを務めた。

すぎた かつゆき

杉田 力之
生誕 杉田 力之
(1942-10-13) 1942年10月13日
日本の旗 日本神奈川県
死没 (2008-03-30) 2008年3月30日(65歳没)
日本の旗 日本東京都
死因 膵臓癌
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学経済学部
職業 実業家
雇用者 日本勧業銀行第一勧業銀行
肩書き 第一勧業銀行代表取締役会長兼頭取、みずほホールディングス代表取締役社長兼CEO
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来歴・人物 編集

神奈川県立小田原高等学校を経て、1966年(昭和41年)東京大学経済学部を卒業後、当時の日本勧業銀行に入行[1]。後にシンガーソングライターに転身した小椋佳は東大・勧銀の同期である。

人事部時代からの部下には後藤高志西武ホールディングス社長)がおり、「ぶれない、逃げない人でした」と言う。部下の失敗も自ら後始末した[2]。巨額の不良債権を生んだ住専問題では、担当常務として処理にあたった[3]

1997年(平成9年)に第一勧業銀行総会屋利益供与事件が発覚し、近藤克彦頭取の退任表明、宮崎邦次元頭取の自殺、現職・元職の役員ら11人の逮捕者を出し、世間から厳しい視線が向けられて、預金の流出が続くなか、若手役員や中堅行員から担がれて会長兼頭取に就任した[3]

97年に北海道拓殖銀行、98年には日本長期信用銀行日本債券信用銀行が相次いで破綻し、「規模を求めねば生き残れない」との強い危機感が原動力となり、日本興業、富士両銀行との3行統合を決断[3]、みずほホールディングス初代社長に就いた。

に侵され、闘病していたが、2008年3月30日、65歳で死去[1]

映画化もされた高杉良の小説『金融腐蝕列島 呪縛』に登場する中山頭取のモデルとされ、映画版では根津甚八がキャスティングされている。

役職 編集

  • 財団法人みずほ教育福祉財団理事長
  • 財団法人喫煙科学研究財団評議員
  • 財団法人癌研究会監事
  • 財団法人日本不動産研究所理事
  • 財団法人ファナックFAロボット財団評議員
  • 財団法人ソルト・サイエンス研究財団理事

脚注 編集

  1. ^ a b 杉田力之氏死去 旧第一勧業銀行元頭取 47NEWS 共同通信 2008年4月6日
  2. ^ 「惜別 前みずほホールディングス社長 杉田力之さん 昔気質でぶれず逃げず」『朝日新聞』夕刊 13頁 2008年5月23日
  3. ^ a b c 「金融難局に統合決断 旧第一勧銀頭取・杉田氏死去」『朝日新聞』7頁 2008年4月7日
先代
近藤克彦
第一勧業銀行(のちのみずほ銀行)頭取
第7代:1997年 - 2002年
次代
工藤正
先代
岸暁
全国銀行協会会長
1999年度
次代
西川善文
先代
(初代)
みずほホールディングス
社長
初代:2000年 - 2002年
次代
前田晃伸