李 晋暎(イ・ジンヨン、イ・ジニョン、朝鮮語:이진영、1980年6月15日 - )は、大韓民国全羅北道群山市出身の元プロ野球選手外野手一塁手)、野球指導者。左投げ左打ち。2008年北京オリンピック 野球 金メダリスト。

李 晋暎(イ・ジンヨン)
サムスン・ライオンズ 打撃コーチ #85
2013年の李晋暎
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 全羅北道群山市
生年月日 (1980-06-15) 1980年6月15日(43歳)
身長
体重
185 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 右翼手一塁手
プロ入り 1998年 1次ドラフト
初出場 1999年5月10日
最終出場 2018年10月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 2008年
WBC 2006年2009年2013年
オリンピック
男子 野球
大韓民国の旗 大韓民国
2008 野球
イ・ジンヨン
各種表記
ハングル 이진영
漢字 李晋暎
発音: イジニョン
ローマ字 Yi Jin-yeong
本人表記: Lee, Jin Young
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経歴 編集

アマチュア時代 編集

群山商業高校時代は速球を武器とする投手だった。

サンバンウル時代 編集

1999年サンバンウル・レイダースに入団し、野手へ完全に転向する。この年、財政的に苦しんでドラフトで新人の指名すら保留していたサンバンウルが唯一指名し、1億ウォンの契約金で入団させたほど期待された新人であった。結局、李がサンバンウルの最後の新人となった。

SK時代 編集

2000年に同球団が解散すると新球団SKワイバーンズに受け入れられ、2002年から2004年まで3年連続の打率3割を記録するなど主力選手として活躍した。

2003年には、アテネオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権大会韓国代表に選ばれた。

2006年には、第1回WBC韓国代表に選ばれた。

2006年の第1回WBC1次リーグ対日本戦では、日本2点リードの4回裏2アウト満塁の場面で西岡剛のヒット性の当たりをダイビングキャッチして追加点を防ぎ、逆転につなげた。同じく2次リーグの日本戦では2回裏、里崎智也のライト前ヒットでホームに突入してきた岩村明憲を好返球で刺し、先制点を許さなかった。これらの好プレイによって韓国の野球ファンから「国民的右翼手」(국민 우익수)というあだ名を得た。

2006年WBC後のインタビューで李は、イチローに対して「どんなにいい選手だとしても、彼のように人格に問題のある選手はプロとは言えない。メジャーリーグで活躍してる選手だからと言ってパフォーマンスは安定してなかったし、聞いたほど怖い選手じゃなかった。イチローは李鍾範李炳圭と同じレベルだった」と痛烈な批判を行ったことで知られている。

2007年アジアシリーズ中日と対戦したときは「中田賢一山井大介レベルの先発は韓国にもいる」という発言も残した。

2008年北京オリンピック野球韓国代表に選ばれたが、ライトのポジションを李容圭(イ・ヨンギュ)に譲り、主に控えの外野手および代打として使われた。しかし、日本との準決勝では1対2でリードされた7回裏二死走者1、2塁の場面で代打で起用され、藤川球児から1、2塁間を抜ける同点打を放った。李のこの一打で8回の逆転劇へ繋げる役割を果たし、大舞台での勝負強さを再び確認させた。一方、レギュラーシーズンでは故障や他の選手の台頭もあって出場機会が減り、オフにフリーエージェントの権利を獲得するとLGツインズに移籍した。李の補償選手には李丞鎬が選ばれた。

LG時代 編集

2009年の第2回WBC韓国代表としても全9試合にフル出場。台湾戦では李振昌から満塁本塁打を放ち、2次ラウンドの日本戦ではダルビッシュ有から先制のタイムリーを放つなど活躍。なお、この試合終了後にチームは準決勝進出を決め、奉重根とともに、マウンド太極旗を立てた。大会通じて打率は.250と低迷したが、打点は金泰均に次ぐ7打点を挙げ今大会でも勝負強さは健在だった。

なお、同年は新天地のLGで主力外野手として活躍し、3年ぶりに100試合以上に出場すると規定打席にも達し、2ケタ本塁打も記録した。

2010年以降もLGで主力外野手として活躍を続けた。

2014年2015年はチームの主将だった。

KT時代 編集

2015年11月27日、戦力均衡を目的とした2次ドラフト(各チーム40名の保護選手以外から3名まで他チームの選手を指名可能)により、KTウィズより指名され移籍した。

2017年6月16日、ハンファ・イーグルス戦で韓国プロ野球史上10人目の通算2000安打を達成。

2018年10月19日、同年限りでの現役引退を表明した。李の引退により、サンバンウル・レイダースに所属経験のあるプロ野球選手が全て現役を引退した[1]

引退後 編集

2019年4月6日から2ヶ月程度、日本プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスでコーチ研修を受けた[2]。同年7月28日、水原KTウィズパークにて引退式が行われた。

2020年からSKにコーチとして復帰、2021年よりSKがSSGランダースとなった後も2023年までコーチを務め、2024年よりサムソン・ライオンズのコーチとなる。

プレースタイル・人物 編集

現役通算で打率3割を超え、韓国屈指の巧打者だった。三振が少なく、パンチ力と勝負強さとを兼ね備えていた。

元投手ということもあり強肩で、球際に強く韓国でも随一の外野守備を誇っていた。

上述から国際大会とも相性がよかったため、2006年から2013年にかけて韓国代表への選出が多かった。

LG時代の初期応援歌は李炳圭のものを流用している。後期応援歌の原曲は「威風堂々」で、退団後には李炯宗へ受け継がれた。またKT時代の応援歌はアニメ進撃の巨人のオープニングが原曲となっていた。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集







































O
P
S
1999 サンバンウル 65 190 14 49 5 0 4 13 5 4 17 40 3 2 .258 .347 .319 .666
2000 SK 105 292 34 72 16 4 7 33 2 1 22 64 3 3 .247 .299 .401 .600
2001 120 321 49 90 16 1 7 31 9 5 35 64 5 4 .280 .401 .351 .752
2002 128 419 73 129 22 8 13 40 11 12 47 57 7 4 .308 .492 .378 .870
2003 128 481 81 158 29 6 17 70 10 9 66 76 6 7 .328 .520 .410 .930
2004 117 404 74 138 19 1 15 63 8 6 71 49 9 1 .342 .505 .440 .945
2005 122 453 76 132 19 1 20 74 8 5 58 60 7 3 .291 .470 .372 .842
2006 118 428 54 117 13 0 11 41 3 4 43 52 8 2 .273 .381 .340 .721
2007 80 220 40 77 10 3 7 42 6 0 24 20 2 1 .350 .518 .414 .932
2008 95 324 53 102 20 0 8 53 12 6 34 26 4 3 .315 .451 .380 .731
2009 LG 120 380 50 114 18 1 14 69 5 2 41 30 19 2 .300 .463 .366 .830
2010 104 378 56 125 28 0 7 50 10 4 33 40 7 5 .331 .460 .381 .841
2011 97 323 43 89 18 1 2 37 3 2 28 29 9 2 .276 .356 .333 .689
2012 105 365 39 112 18 0 4 55 4 2 45 41 8 2 .307 .389 .383 .772
2013 106 368 41 121 26 1 3 62 6 2 39 42 6 0 .329 .429 .393 .822
2014 119 412 53 134 19 2 6 65 4 3 45 48 10 0 .325 .425 .384 .809
2015 103 301 32 77 5 1 9 39 2 4 45 55 10 1 .256 .369 .351 .720
2016 KT 115 371 49 123 23 1 10 72 2 5 48 44 13 0 .332 .480 .403 .883
2017 103 263 28 76 26 1 2 31 0 0 18 34 3 0 .289 .418 .335 .753
2018 110 283 40 90 25 1 3 39 2 1 25 35 3 0 .318 .417 .370 .787
通 算 2160 6976 979 2125 367 33 169 979 112 77 745 906 142 42 .305 .439 .372 .811
  • 太字はリーグ最高

背番号 編集

  • 10 (1999年 - 2001年)
  • 35 (2002年 - 2018年)
  • 72 (2020年)
  • 75 (2021年 - 2023年)
  • 85 (2024年 - )

表彰 編集

  • ゴールデングラブ賞:1回(2004年)

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集