村上 宗治(むらかみ そうじ[1]1893年明治26年)9月26日[2] - 1955年昭和30年)3月18日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

村上 宗治
生誕 1893年9月26日
日本の旗 日本 愛媛県
死没 (1955-03-18) 1955年3月18日(61歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1914年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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経歴 編集

1893年(明治26年)に愛媛県で生まれた[2]陸軍士官学校第26期卒業[2]1938年(昭和13年)2月に中支那派遣軍高級副官に就任し[1]日中戦争に出動[2]1939年(昭和14年)3月9日陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第12連隊長に就任し[1]1940年(昭和15年)8月1日第55師団司令部附となり[1]12月2日舞鶴要塞司令官を経て[1]1942年(昭和17年)4月に熊本陸軍教導学校長に就任した[1]

1943年(昭和18年)3月1日に陸軍少将に進級し[1]6月10日に歩兵第72旅団長(第13軍第65師団)に就任し[2]、中国戦線に復帰[2]徐州に駐屯し、警備に当たった[2]1944年(昭和19年)8月に東部軍司令部附となり[2]1945年(昭和20年)2月1日東部軍管区司令部附を経て[3]2月20日に独立歩兵第5旅団長(支那派遣軍第6方面軍)に就任し[2]荊州で終戦を迎えた[2]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026