東嶽(とうがく、1554年天文13年〉 - 没年不詳)は、江戸時代前期の臨済宗僧侶。名は蜂須賀長存東岳栄俊とも表記する。

東嶽
1554年 - 没年不詳
生地 阿波国
没地 阿波国
宗派 臨済宗
寺院 興源寺
南禅寺
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伊勢国司北畠具教落胤。母は大匠院(まつ)。養父は蜂須賀正勝。異父弟は徳島藩祖である蜂須賀家政

生涯 編集

父は伊勢国司北畠具教で母は側室の大匠院(まつ)。

しかし、母のまつは北畠具教と離縁し、後に尾張国蜂須賀正勝の正室となり、1558年永禄元年)に蜂須賀家政(後の徳島藩祖)を生んだ。

そのため長存は蜂須賀正勝の養子となり、後に出家し、京都の南禅寺で修行し臨済宗の僧侶となる。

異父弟・蜂須賀家政とともに阿波国に入り、1586年天正14年)に江岸山福聚寺を開山。その後、同寺は下助任町に移り、興源寺と改められた。

その後、興源寺の初代住職となり、1619年元和5年)に八万村(現在の徳島市八万町)に雲水庵(現在は廃庵)を開山し隠居。同庵には徳島藩家老である池田氏(蜂須賀家政の外孫蜂須賀玄寅系)の歴代当主の墓碑がある。没後、雲水庵に墓碑が建てられる。

参考文献 編集