松平正詮

江戸時代前期の福井藩重臣

松平 正詮(まつだいら まさあき) は、江戸時代前期の福井藩重臣。高知席長沢松平家(松平主馬家)2代当主。

 
松平正詮
時代 江戸時代前期
生誕 寛永4年(1627年
死没 元禄9年(1696年
別名 通称:主馬
主君 松平忠昌光通昌親綱昌
福井藩
氏族 長沢松平家(松平主馬家)
父母 父:松平正世
千勝、正恒、源四郎
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略歴 編集

寛永4年(1627年)、福井藩家老松平正世の子として越前に誕生。寛永5年(1628年)父の死去により家督と知行6000石を相続する。延宝2年(1674年)藩主松平昌親の家督相続の御礼言上の際に、4代将軍徳川家綱に拝謁する。貞享3年(1686年)藩主松平綱昌が蟄居および隠居処分となり、福井藩がそれまでのおよそ半分である25万石に減封されたため、家臣団の知行もおよそ一律に半減された。松平主馬家もその知行は3000石に半減となった。

元禄9年(1696年)没。享年70。長男・千勝は幕府に対する証人(人質)の一人として江戸に下向し、12歳で没した。家督は次男・正恒が継ぎ家老となった。

参考文献 編集

  • 「越藩史略」