松平 永兼(まつだいら ながかね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての信濃国松本藩戸田松平家の世嗣。通称は孫六郎。信州松本神社で祭神の一柱の暘谷(ようこく)として祀られている。

 
松平永兼
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正8年(1580年
死没 元和5年6月10日1619年7月20日
改名 虎松(幼名)、永兼
別名 孫六郎(通称
戒名 劫岩玄永壽昌院
信濃松本藩世嗣
氏族 戸田松平家
父母 父:松平康長、母:松姫
兄弟 永兼忠光庸直戸田氏鉄正室、松平乗寿正室、阿部忠秋継室ら
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略歴 編集

松平康長の長男として誕生した。母は久松俊勝の娘・松姫。幼名は虎松。

文禄元年(1592年)に元服し、伯父徳川家康より越中国則重の刀を下賜された。しかし、家督を相続することなく元和5年(1619年)に没した。戒名は劫岩玄永壽昌院。

代わって異母弟・忠光が嫡子となった。