松田 元継(まつだ もとつぐ)は、江戸時代初期の武士毛利氏家臣長州藩士。知行は200石。父は松田元行

 
松田元継
時代 江戸時代初期
生誕 慶長8年(1603年
死没 寛永21年10月9日1644年11月8日
別名 通称:与四郎→七郎兵衛尉→次郎左衛門尉、治右衛門
主君 毛利秀就
長州藩
氏族 橘姓松田氏
父母 父:松田元行、母:遠藤元盛の娘
兄弟 元継隆宗尚通
福間元道の娘
女(福原元方室)、就継時里
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生涯 編集

慶長8年(1603年)、長州藩士・松田元行の嫡男として生まれる。

慶長18年(1613年8月13日毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「元継」と名乗った。また、毛利秀就から元和3年(1617年11月9日に「七郎兵衛尉」の官途名を、寛永6年(1629年10月1日に「次郎左衛門尉」の官途名を与えられる。

寛永12年(1635年1月13日に父・元行が隠居し、家督と200石の知行[1] を相続した。

寛永21年(1644年10月9日に42歳で死去。嫡男の就継が後を継いだ。

脚注 編集

  1. ^ 長門国美祢郡岩永村の内の100石と長門国豊田郡岩神村の内の100石、合計200石。

参考文献 編集