板屋町はかつて遊廓の街で、(近世、文化年間の茶屋女に始まる)芸妓・遊女が多くいたが、大正期に岡崎市中町へ遊里の機能が移転した。戦災を受けなかった板屋町には、現在でも古い妓楼が数軒残されていることを確認できる。
板屋本通りの北側には東海道の岡崎城下二十七曲りがあり、西に行けば松葉通り・八丁往還通り方面に接続する。
現在の板屋本通りは道幅が広い。自動車の交通は西側の国道248号(都市計画道路蒲郡岐阜線)に集中しており、交通量は少ない。
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