柳沢 光邦(やなぎさわ みつくに)は、越後黒川藩の第8代(最後)の藩主

 
柳沢光邦
時代 江戸時代末期(幕末) - 大正時代
生誕 嘉永7年3月15日1854年4月12日
死没 大正12年(1923年10月22日
別名 伊織(通称
官位 刑部大輔
越後黒川藩主→黒川藩知事
氏族 武田氏柳沢氏
父母 父:武田信之、養父:柳沢光昭
兄弟 柳生俊順俊益光邦
柳沢光昭の娘)
飛佐子那須資興の娘)
斐子(津軽類橘妻)、鉚(京極高義妻)、宣子(山田英夫妻)、光武光治
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生涯 編集

高家旗本武田信之の六男。文久2年(1862年)11月13日、従兄にあたる先代藩主の光昭の養子となる。慶応3年(1867年)9月23日、将軍徳川慶喜に拝謁する。慶応4年(1868年)閏4月20日、養父の隠居により家督を相続する。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により黒川藩知事に就任した。明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により免職となる。明治12年(1879年)、大蔵省御用掛となった。明治17年(1884年)7月、子爵に叙爵。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に選出され、明治30年(1897年)7月9日まで1期務めた[1]。大正12年(1923年)に死去した。

家族 編集

父母

子女

脚注 編集

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』58頁。

参考文献 編集

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
黒川柳沢家初代
1884年 - 1923年
次代
柳沢光治