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柳田(やなぎだ)は秋田県秋田市にある大字郵便番号は010-0825。住居表示未実施地区。

柳田
柳田の位置(秋田県内)
柳田
柳田
柳田の位置
北緯39度44分15.79秒 東経140度9分2.67秒 / 北緯39.7377194度 東経140.1507417度 / 39.7377194; 140.1507417
日本の旗 日本
都道府県 秋田県
市町村 秋田市
人口
2016年(平成28年)10月1日現在)[1]
 • 合計 2,062人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
010-0825
市外局番 018[2]
ナンバープレート 秋田

地理 編集

秋田市の東部に位置する。太平川中流域の主に右岸に広大な領域を持ち、南部の平野は農業地域、北部は丘陵地である。南端の字糠塚に秋田大学医学部広面と跨って立地し[3]、周辺の字境田・字川崎に新興住宅街が形成されているが、その他は宅地化が進んでおらず、秋田県道28号秋田岩見船岡線の旧道(太平街道)に沿って古くからの集落が連なっている。東から北に向かって秋田自動車道が丘陵部を貫いており、字扇ノ沢に太平山パーキングエリアがある。

南は下北手松崎(字大沢田・字上崎)・広面(字谷内佐渡・字川崎・字糠塚・字蓮沼・字堤敷・字二階堤・字近藤沢)・手形山東町、西は手形(字大松沢)・新藤田(字治郎沢・字中山台)・添川(字地ノ内)、北は添川(字戸平川・字矢坂・字鶴木台)・山内(字増沢)、東は太平八田(字松沢・字猿田沢・字扇田・字荒巻・字香炉沢)に接する。

小字 編集

16の小字が設置されている。

  • 字家ノ沢(いえのさわ)
  • 字碇(いかり)
  • 字石神(いしがみ)
  • 字泉山(いずみやま)
  • 字扇ノ沢(おおぎのさわ)
  • 字小友沢(おともざわ)
  • 字川崎(かわさき)
  • 字境田(さかいだ)
  • 字佐渡端(さどばた)
  • 字推子(すいこ)
  • 字竹生(たけおい)
  • 字鳥越(とりごえ)
  • 字糠塚(ぬかづか)
  • 字馬上田(ばじょうでん)
  • 字古道(ふるみち)
  • 字柳田(やなぎだ)

河川 編集

歴史 編集

1239年1月10日(嘉禎4年12月4日)の橘公員宛将軍家政所下文に「出羽国秋田郡内楊田」とあるのが初出資料である[4]。文治5年(1189年)の大河兼任の乱平定に対し恩賞として橘公業に与えられた所領の1つで、公業の11子である公員が父から譲り受けたことを示す[4]

その後、室町時代後期から安東氏(秋田氏)の支配下に置かれたものと考えられている[4]1592年9月27日文禄元年8月22日)の「秋田家分限帳写」に「馬場広面(屋)村 994石余」とあり、これは本来馬場村と広面村が併立しているものの連記であって、うち馬場村が近世の柳田村の一部であると考えられている[5]

江戸時代には久保田藩領であり、「正保国絵図」では本田当高275石、「享保黒印高帳」では村高576石余・当高564石余(うち本田324・本田並173・新田67)となっている[4]。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、「秋田風土記」では511石余・61軒となっている[4]

沿革 編集

  • 1873年(明治6年)3月 - 大区小区制の改正に伴い、秋田郡柳田村は秋田県第1大区6小区に属した[6]
  • 1884年(明治17年)頃 - 郡区町村編制法の下で、南秋田郡手形村・蛇野村・広面村・柳田村が連合。戸長役場は広面村に設置される[4]
  • 1887年(明治20年) - 組合4ヶ村の戸数は467戸、人口は2,659人[7]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い広面村・楢山村・柳田村・蛇野村(一部を除く)が合併し、南秋田郡広山田村が発足。柳田を含む旧4ヶ村は広山田村の大字となる[7]
    • 広面村・柳田村・蛇野村は楢山村の除外を主張し、楢山村も単独立村を主張した[8]。しかし県が合併枠の変更を認めず、4村での合併となった。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 広山田村が秋田市へ編入されたことに伴い、秋田市の大字となる。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 秋田大学医学部が設置される。
  • 1981年(昭和56年)4月1日 - 字鳥越の一部が分割され、広面(字近藤沢・字近藤山下・字二階堤)の各一部と合わせて手形山東町が新設される。

字域の変遷 編集

以下は住居表示実施に伴う変更。

実施前 実施年月日 実施後
柳田字家ノ沢 (残存)柳田字家ノ沢
柳田字碇 (残存)柳田字碇
柳田字石神 (残存)柳田字石神
柳田字泉山 (残存)柳田字泉山
柳田字扇ノ沢 (残存)柳田字扇ノ沢
柳田字小友沢 (残存)柳田字小友沢
柳田字川崎 (残存)柳田字川崎
柳田字境田 (残存)柳田字境田
柳田字佐渡端 (残存)柳田字佐渡端
柳田字推子 (残存)柳田字推子
柳田字竹生 (残存)柳田字竹生
柳田字鳥越 昭和56年4月1日 手形山東町(一部)
てがたやまひがしまち
(残存)柳田字鳥越
柳田字糠塚 (残存)柳田字糠塚
柳田字馬上田 (残存)柳田字馬上田
柳田字古道 (残存)柳田字古道
柳田字柳田 (残存)柳田字柳田

世帯数と人口 編集

2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

小字 世帯数 人口
柳田字碇
柳田字境田
273世帯 642人
柳田字石神
柳田字泉山
23世帯 162人
柳田字川崎 213世帯 594人
柳田字佐渡端 42世帯 124人
柳田字竹生
柳田字柳田
61世帯 266人
柳田字鳥越 47世帯 91人
柳田字糠塚 77世帯 118人
柳田字馬上田 21世帯 65人
757世帯 2,062人

交通 編集

鉄道 編集

地区内に鉄道は通っていない。最寄り駅は中通七丁目にあるJR東日本奥羽本線羽越本線秋田新幹線秋田駅

バス 編集

  • 秋田中央交通
    • 《駅東線》 - 大学病院前 - 境田下丁 - 境田公園(上りのみ) - 境田上丁
    • 《太平線》 - 柳田入口 - 柳田下丁 - 柳田中丁 - 柳田神社前 - 柳田上丁 - 石神 - 清和病院前 -

道路 編集

施設 編集

字家ノ沢 編集

字碇 編集

字石神 編集

  • 若宮八幡神社
  • 御岳神社
  • 医療法人清風会清和病院

字泉山 編集

字扇ノ沢 編集

字小友沢 編集

字川崎 編集

字境田 編集

字佐渡端 編集

字推子 編集

字竹生 編集

  • 神上神明社
  • デイサービスセンターふきのとう
  • 秋田育明会竹生寮
  • 秋田育明会柳田新生寮

字鳥越 編集

  • 老人保健施設悠久荘

字糠塚 編集

字馬上田 編集

  • 柳田公民館

字古道 編集

字柳田 編集

参考文献 編集

  • 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」1980年
  • 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市編、2004年
  • 秋田市 地名小辞典

脚注 編集

  1. ^ a b 秋田市年齢別・地区別人口(平成28年10月1日現在:平成27年国勢調査からの推計値)”. 秋田市 (2017年2月1日). 2017年7月7日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ 医学部は所在地を「本道一丁目1番1号」と称しているが、正式な地名ではない。医学部設立直後に薬理学教授の中井健五(後の医学部長)が考案した俗称で、論語の一節「君子は本を務む。本立ちて道生ず」、あるいは漢方医学で内科を意味する「本道」が由来だという。秋田魁新報電子版 秋田市裏ガイド2018(5)医学部創設の精神、今に 2018年4月19日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.661。
  5. ^ 「角川日本地名辞典 5 秋田県」p.547。
  6. ^ 「秋田市史 第四巻」p.18。
  7. ^ a b 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.571。
  8. ^ 「秋田市史 第四巻」p.288。

外部リンク 編集