柿本 清吉(かきもと せいきち、1822年文政5年[注 1]) - 没年不詳)は、新発田藩藩士剣術家流派直心影流称号大日本武徳会精錬証

経歴 編集

新発田藩の堀源太左衛門に剣術を学んでいたが、後に堀とともに江戸男谷信友に入門し、直心影流剣術を学んだ。

江戸の各道場を廻って他流試合を重ね、天才と謳われていた千葉栄次郎と立ち合った。柿本は三先取し、一旦は心の中で栄次郎を侮ったが、改めて立ち合うと同じ技を三本返された。柿本はこの体験を一生の語り草とした。

1881年明治14年)ごろ、警視庁撃剣世話掛に就任。

1882年(明治15年)、吹上御苑での天覧試合得能関四郎に敗れる。

1884年(明治17年)、向ヶ岡弥生社撃剣大会高山峰三郎に敗れる。

1901年(明治34年)[1]大日本武徳会から第6回精錬証を授与された。その後の消息は不明[1]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『剣道事典 技術と文化の歴史』345頁では文政11年5月

出典 編集

  1. ^ a b 『剣道事典 技術と文化の歴史』345頁。

参考文献 編集

  • 中村民雄『剣道事典 技術と文化の歴史』島津書房、1994年。
  • 戸部新十郎『明治剣客伝 日本剣豪譚』〈光文社文庫〉光文社、1996年。