桃川 燕雄(ももかわ えんゆう、1888年12月21日 ‐ 1964年4月2日)は、日本講談師。本名:河久保金太郎。

人物 編集

東京府四谷の生まれ。1903年に桃川実(1846-1905)に入門し燕雄となる。生涯この名で通す。桃川実の死後は2代目桃川如燕門下へ、如燕死後は桃川若燕の身内で戦前まで活躍。真打昇進せず万年前座の扱いだった。戦後は貧窮極まる生活であったが仲間や講談組合の助力で1953年11月より復帰し、1956年真打昇進[1]。長く谷中初音町に居住していた。

無類の記憶力と博識から無数の演題を演じ、多くの同業者が教えを受けた貴重な存在だったが、伝統に即した古風な芸風が時代に合わず名人ではなかった。「寛政力士伝」「佐倉義民伝」「慶安太平記」などを得意とした。

小金井芦州は多くの演目を教わっている。

晩年、安藤鶴夫直木賞受賞作「巷談本牧亭」のモデルとして一躍有名になった。1964年4月2日死去。享年76。墓所は谷中本授寺[2]

脚注 編集

  1. ^ koganei-rosyu. “100.桃川燕雄の事(1)”. 小金井芦州啖呵を切る. 2022年6月18日閲覧。
  2. ^ 谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー 桃川燕雄”. ya-na-ka.sakura.ne.jp. 2022年6月18日閲覧。