桑折政長

安土桃山時代の武将。伊達氏重臣。桑折宗長の嫡男。治部大輔、摂津守

桑折 政長(こおりまさなが)は、安土桃山時代武将伊達氏重臣。

 
桑折政長
時代 安土桃山時代
生誕 永禄4年(1561年
死没 文禄2年(1593年
別名 治部大輔摂津守
主君 伊達政宗
氏族 桑折氏
父母 父:桑折宗長
兄弟 女子(石母田景頼室)
名称不詳(飯坂宗康の女)
吉菊桑折重長室)、養子:重長
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永禄4年(1561年)、伊達氏重臣桑折宗長(点了斎)の嫡男として生まれる。伊達政宗に仕え、数多くの戦陣に出陣し、武功をあげる。天正19年(1591年)、豊臣秀吉奥州仕置により、政宗が米沢から岩出山に移った時期、政長も江刺郡岩谷堂城(岩手県江刺市)に所替となった。

文禄2年(1593年)7月、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍したが、病にて釜山浦で病没する。享年32。

政長には嗣子がなく、娘1人だったため文禄3年(1594年)1月、政長の妻が政宗に願い出て、政長の従弟の石母田景頼の嫡男満六を娘婿とし、桑折重長と名乗らせた。政長の妻の妹は、政宗の側室飯坂の局である。

系譜 編集

参考文献 編集

  • 『石母田家文書』
  • 『桑折町史』
  • 『伊達治家記録』
  • 『伊達世臣家譜』

脚注 編集