森岡 信年(もりおか のぶとし)は、江戸時代前期の弘前藩士。

 
森岡信年
時代 江戸時代前期
生誕 文禄3年(1594年
死没 慶安4年(1651年
別名 采女
墓所 青森県弘前市梅林寺
主君 津軽信枚信義
陸奥弘前藩
氏族 称・藤原氏津軽氏支流森岡氏
父母 森岡信元
信安
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生涯 編集

文禄3年(1594年)、津軽氏の重臣森岡信元の嫡男として誕生。慶長5年(1600年)、父・信元が久渡寺(現弘前市郊外)で殺害されると、その死を病死として届け、母と共に小沢の館より追小野木に移住した。慶長14年(1611年)に城下の馬屋町に移住し、元和7年(1621年)300石を与えられた。後に500石に加増となり、寛永17年(1640年)には家老となった。同17年には700石となり、慶安4年(1651年)、死去した。

参考文献 編集

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社