楢崎弥之助
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ならざき やのすけ
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| 生年月日 | 1920年4月11日 |
| 出生地 | 福岡県福岡市 |
| 没年月日 | 2012年2月28日(満91歳没) |
| 死没地 | 福岡県福岡市 |
| 出身校 | 九州帝国大学(現・九州大学) |
| 前職 | 参議院議員秘書 |
| 所属政党 | (日本社会党→) (社会民主連合→) (無所属→) (社会民主連合→) (自由連合→) 無所属 |
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勲一等旭日大綬章 永年在職議員(両院通算) |
| 親族 | 長男・楢崎欣弥 |
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| 選挙区 | 福岡県第1区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 1986年7月8日 - 1996年9月27日 |
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| 選挙区 | 福岡県第1区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 任期 | 1960年11月21日 - 1983年11月28日 |
楢崎 弥之助(ならざき やのすけ、1920年〈大正9年〉4月11日 - 2012年〈平成24年〉2月28日[1])は日本の政治家。本名は、楢崎 弥之祐(読みは同じ)[2]。衆議院議員(11期)、社会民主連合書記長、同党副代表を歴任した。衆議院議員を務めた楢崎欣弥は長男。
ロッキード事件やリクルート事件など数々の疑惑を暴いたため「国会の爆弾男」との異名を持ち、政治スキャンダル追及の中心的役割を担う存在であった。
略歴
福岡県に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校を経て、1945年、九州帝国大学法文学部法科を卒業する。
西日本生産科学研究所を経て、配炭公団福岡配炭局に勤務し、労働組合委員長、福岡地方公共企業体等労働委員会調停委員を歴任した後、松本治一郎の秘書を経て、1960年11月の第29回衆議院議員総選挙に福岡1区から日本社会党公認で出馬して初当選し、以後衆議院議員に11回当選している。社会党においては中央執行委員青少年局長を2期務めている。
1964年、米国のスケート級原子力潜水艦シードラゴンが長崎県の佐世保港に入港した際の反対デモに参加し、公務執行妨害罪で現行犯逮捕されたことがある[3]。日本国憲法下で現行犯逮捕された現職国会議員は楢崎が初めてであった。
1978年、社会党を離党し、田英夫らとともに社会民主連合(社民連)の結成に参画して書記長に就任する。
1983年、衆議院予算委員会で自衛隊のクーデター計画が浮上していると喧伝。だが、このクーデター計画自体は、その後の調べで存在していないことが発覚。さらにこの情報を提供した人物が詐欺で全国に指名手配されていたことがわかり、国会は混乱することとなり、楢崎は新聞に謝罪広告を出すことになった。また、その影響で同年の総選挙で落選した。
1984年、福岡市市長選挙に「市民派連合」のキャッチフレーズで立候補したが落選する。1986年、第38回衆議院議員総選挙において衆議院議員に復帰し、社民連の国会対策委員長を務める。
1988年9月、国会でのリクルート未公開株譲渡問題の追及質問に対して、手心を加えるよう議員宿舎で賄賂を贈ろうとするリクルートコスモス社員との会談を、おとりとなって日本テレビに隠し撮りさせた。そして、この場面は『NNNニュースプラス1』で放送され、一躍ヒーローとなった。ただし、この件については「決定的瞬間を隠し撮りするために期待をもたせて何度も通わせたのは、国会議員が国民を罪に陥れようとしたことで、道義的に問題」と山本七平におとり捜査の問題点を指摘されている。
1993年11月、勲一等旭日大綬章を受章する。これは非自民連立政権下だが、支持者の一部には「野党政治家一筋だった楢崎が勲章を受けたことに違和感を覚える」とする意見もあがった。
1994年の社民連の解党後は自由連合に参加したが、1995年に自民党との統一会派結成に反発し離党する。その後は無所属として活動し1996年に会派「市民リーグ・民改連」に参加し、同会派の解散後は民主改革連合の会派に参加する。同年の第41回衆議院議員総選挙には立候補せず政界を引退した。
引退後の2006年に発生した堀江メール問題では、過去に類似した騒動をおこしたことがある人物としてマスコミのインタビューに答え、この件については苦言を述べている。2011年7月21日にはかつて社民連時代に同志であり、内閣総理大臣となっていた菅直人に対し、東日本大震災への対応を批判した上で「直ちに辞めなさい」と辞任を促す文書を民主党の全国会議員に配布した[4][5]。
2012年2月29日、楢崎と連絡が取れないことを不審に思った友人から孫への通報により、孫が福岡市内の楢崎の私邸へ赴いた処、浴室で入浴中に死亡しているのが見つかった[1][2]。91歳没。福岡県警東警察署によると死亡推定時刻は2月28日朝[1]で、病死とみられた[2]。没日付をもって正八位から従三位に叙される。
著書
- 『楢崎弥之助の爆弾質問覚書き』 学陽書房(原著1979年9月)。ASIN B000J8F5S0
- 『政界の悪を斬る!…“国会の爆弾男”が初めて明かす楢崎メモのすべて』 日本文芸社(原著1997年7月)。ISBN 9784537025736。
- 『今、時を追い、政界を斬る』 文芸社(原著2005年3月)。ISBN 9784835580760。
- 『ベトナム』 ベトナム研究会、楢崎弥之助(原著1966年)。ASIN B000JA8JFO
脚注
- ^ a b c “訃報:「国会の爆弾男」楢崎弥之助さん死去 91歳”. 毎日新聞. (2012年2月29日) 2012年2月29日閲覧。
- ^ a b c “「国会の爆弾男」楢崎弥之助・元衆院議員が死去”. 読売新聞. (2012年3月1日) 2012年3月1日閲覧。
- ^ “米原潜シードラゴンが佐世保港に入港”. 昭和毎日 (毎日新聞) 2009年3月10日閲覧。
- ^ “「国会の爆弾質問男」が退陣勧告…社民連の同志”. 読売新聞. (2011年7月21日) 2011年7月21日閲覧。
- ^ “「菅君、直ちに辞めなさい」=楢崎氏が即時退陣要求”. 時事通信. (2011年7月21日) 2011年7月21日閲覧。
関連項目
関連書籍
- 岩尾清治 『遺言・楢崎弥之助…命ひとすじ』 西日本新聞社(原著2005年4月)。ISBN 9784816706325。