横山 重長(よこやま しげなが、元禄3年(1690年) - 宝暦2年(1752年)11月26日)は、横山定泰の長男。通称忠左衛門。美作国英田郡(現在の岡山県美作市)の郷士

天正5年(1577年羽柴秀吉上月城攻撃により落城で逃れた横山義祐の後裔で、江戸時代に美作国英田郡で、旧族郷士として共に英田郡粟井に連れてきた石生氏、荒尾氏、登尾氏とともに、粟井において、農村の治安の維持の役割を果たした。末裔は今も、屋号惣田免として名残を留めている。