武藤 鉦八郎(むとう しょうはちろう、1914年1月1日[1][2] - 1984年[3]4月15日[4])は、名古屋市出身の実業家

人物 編集

1931年昭和6年)、名古屋市立名古屋商業学校を卒業[1][2]。その後、武藤鉦八郎の名を先代から襲名する[1][2]1937年(昭和12年)、武藤鉦合名会社代表社員となり、同社を株式会社に改組した上で、その社長に就任する[1][2]。中部薬品貿易取締役を兼任[1][2]。のちに社団法人愛知県医薬品工業協会監事・名古屋商工会議所化学部副部長などを務めた[1][2]茶屋町に所在した店舗から、ロバを用いた車を使い宣伝するなど、ユニークな人物であったという[3]。また、熱田神宮に大鳥居を寄付している[3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 産業経済通信社出版局 1966, p. 544.
  2. ^ a b c d e f 東海発行社 1968, p. 558.
  3. ^ a b c 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 1991, p. 563.
  4. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1221頁。

参考文献 編集

  • 『東海紳士録(三重、愛知、岐阜)』産業経済通信社出版局、1966年11月。 
  • 『東海紳士録 1969年版』東海発行社、1968年9月30日。 
  • 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4-04-002230-0