毎日映画コンクール(まいにちえいがコンクール)は、1946年に創設された、毎日新聞社スポーツニッポン新聞社などが主催する映画の賞である。

毎日映画コンクール
受賞対象作品、監督、脚本、俳優、スタッフ
開催日毎年2月上旬
会場めぐろパーシモンホール
日本の旗 日本
主催毎日新聞社
スポーツニッポン新聞社
初回1946年
最新回2023年
最新受賞者せかいのおきく
公式サイトhttps://mainichi.jp/mfa/

概要 編集

前年1月1日からその年の12月31日までに公開された全作品の中から、日本映画大賞をはじめ同優秀賞、個人賞(監督賞、脚本賞、男・女優主演賞、同助演賞、撮影賞、美術賞、音楽賞、録音賞、技術賞)、記録文化映画賞、アニメーション映画賞、スポニチグランプリ新人賞、大藤信郎賞田中絹代賞、日本映画ファン賞、外国映画ベストワン賞、外国映画ファン賞の各賞が選ばれる。対象作品は洋画邦画を問わない。

毎年2月上旬に授賞式が行われ、第65回(2010年)は初めてtvk(テレビ神奈川)で授賞式の模様が生放送されたが、翌年(第66回、2011年)以降はオープニングセレモニーのみ生放送され、授賞式は後日録画放送される。

第65回から第74回(2019年)までの授賞式は、川崎市の協力で市内にあるミューザ川崎シンフォニーホールで執り行われていたが第75回(2020年)以降は、再び都内に戻り目黒区の協力でめぐろパーシモンホールで執り行われている。

第37回(1982年)までは毎日新聞社のみの主催だった[1]。毎日新聞社は当時、経営再建中で、単独の映画賞を持っていないフジサンケイグループが毎日映画コンクールを譲り受けたいと、岡田茂日本映画製作者連盟会長に相談に訪れた[1]。岡田は懇意にしていたスポーツニッポンの記者・脇田巧彦を東映本社に呼び「伝統ある毎コンが他社に渡っていいのか」と伝えた。脇田は驚き、すぐにスポーツニッポン新聞社社長の和田準一に報告。和田は毎日新聞東京本社代表・小池唯夫に掛け合い、毎日映画コンクールの授賞式とレセプションを盛大にする、スポニチも主催に入る、スポニチ新人賞を新設する、スポニチが応分の資金援助をするという改善策が決まり、第38回(1983年)以降、毎日映画コンクールは毎日・スポニチの共催となった[1]

部門 編集

作品部門 編集

俳優部門 編集

スタッフ部門 編集

  • 監督賞
  • 脚本賞
  • 撮影賞
  • 美術賞
  • 音楽賞
  • 録音賞

ドキュメンタリー部門 編集

  • ドキュメンタリー映画賞

アニメーション部門 編集

TSUTAYA×Filmarks映画ファン賞 編集

  • 日本映画部門
  • 外国映画部門

特別賞 編集

  • 特別賞

歴代各賞 編集

注:下記は年度表示であり、授賞式の年は翌年(2月)。

第1回(1946年) - 第10回(1955年) 編集

目次[注 1] : 第1回(1946年) - 第2回(1947年) - 第3回(1948年) - 第4回(1949年) - 第5回(1950年) - 第6回(1951年) - 第7回(1952年) - 第8回(1953年) - 第9回(1954年) - 第10回(1955年)

第1回(1946年)
  • 作品部門
第2回(1947年)
第3回(1948年)
第4回(1949年)
第5回(1950年)
第6回(1951年)
第7回(1952年)
第8回(1953年)
第9回(1954年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『二十四の瞳
    • 教育文化映画賞 『蚊』、『佐久間ダム』
    • ニュース映画賞 毎日世界ニュース第145号特報「衆院大乱闘事件」新理研映画社
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
    • 監督賞 木下恵介『二十四の瞳』『女の園』
    • 脚本賞 木下恵介『二十四の瞳』『女の園』
    • 撮影賞 小原譲治『愛と死の谷間』『鶏はふたたび鳴く』
    • 美術賞 木村威夫或る女』『黒い潮』
    • 音楽賞 木下忠司『女の園』『この広い空のどこかに』
    • 録音賞 大野久雄『この広い空のどこかに』『女の園』『二十四の瞳』
    • 色彩技術賞 杉山公平他・大映作品『千姫』の色彩技術関係者
第10回(1955年)

第11回(1956年) - 第20回(1965年) 編集

目次[注 2] : 第11回(1956年) - 第12回(1957年) - 第13回(1958年) - 第14回(1959年) - 第15回(1960年) - 第16回(1961年) - 第17回(1962年) - 第18回(1963年) - 第19回(1964年) - 第20回(1965年)

第11回(1956年)
第12回(1957年)
第13回(1958年)
第14回(1959年)
第15回(1960年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『おとうと
    • 教育文化映画賞
      • 長編記録映画 『人間みな兄弟』
      • 理科映画 『新昆虫記―蜂の生活』
      • 短編劇映画 『北白川こども風土記』
      • 科学映画 『マリン・スノー=石油の起源』
        • 企画賞 『マリン・スノー=石油の起源』
    • ニュース映画賞
      • 朝日ニュース「血ぬられた安保新条約」を含む第797号日本映画新社
      • 毎日ニュース「ハガチー氏デモ隊に囲まる」(特報添付)を含む第289号毎日映画社
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
  • 特別賞
    • ヘンリー小谷
      • 日本映画の先覚者として近代的撮影技術を確立した功績
    • 教育文化映画特別賞 吉田六郎 『新昆虫記―蜂の生活』に示した画期的撮影技術
第16回(1961年)
第17回(1962年)
第18回(1963年)
第19回(1964年)
第20回(1965年)

第21回(1966年) - 第30回(1975年) 編集

目次[注 2] : 第21回(1966年) - 第22回(1967年) - 第23回(1968年) - 第24回(1969年) - 第25回(1970年) - 第26回(1971年) - 第27回(1972年) - 第28回(1973年) - 第29回(1974年) - 第30回(1975年)

第21回(1966年)
第22回(1967年)
第23回(1968年)
第24回(1969年)
第25回(1970年)
第26回(1971年)
第27回(1972年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『忍ぶ川
    • 教育文化映画賞 『明治の洋風建築』
    • ニュース映画賞 中日ニュース「水俣からの告発~生きる証」を含む第947号中日映画社
    • 大藤信郎賞 『鬼』川本喜八郎
      • 人形アニメーションに能の様式と邦楽伴奏を取り入れ、古典的な題材に作者の新しい解釈を加味し、おそろしくも哀れ深い作品に昇華させた。
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
第28回(1973年)
第29回(1974年)
第30回(1975年)

第31回(1976年) - 第40回(1985年) 編集

目次[注 2] : 第31回(1976年) - 第32回(1977年) - 第33回(1978年) - 第34回(1979年) - 第35回(1980年) - 第36回(1981年) - 第37回(1982年) - 第38回(1983年) - 第39回(1984年) - 第40回(1985年)

第31回(1976年)
第32回(1977年)
第33回(1978年)
  • 作品部門
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
    • 監督賞 野村芳太郎『事件』『鬼畜』
    • 脚本賞 新藤兼人『事件』
    • 撮影賞 川又昴『事件』『鬼畜』
    • 美術賞 森田郷平『事件』『鬼畜』
    • 音楽賞 武満徹『愛の亡霊』
    • 録音賞 久保田幸雄『サード』
第34回(1979年)
第35回(1980年)
第36回(1981年)
第37回(1982年)
第38回(1983年)
第39回(1984年)
第40回(1985年)

第41回(1986年) - 第50回(1995年) 編集

目次[注 2] : 第41回(1986年) - 第42回(1987年) - 第43回(1988年) - 第44回(1989年) - 第45回(1990年) - 第46回(1991年) - 第47回(1992年) - 第48回(1993年) - 第49回(1994年) - 第50回(1995年)

第41回(1986年)
第42回(1987年)
第43回(1988年)
第44回(1989年)
作品部門
第45回(1990年)
第46回(1991年)
第47回(1992年)
第48回(1993年)
第49回(1994年)
第50回(1995年)

第51回(1996年) - 第60回(2005年) 編集

目次[注 2] : 第51回(1996年) - 第52回(1997年) - 第53回(1998年) - 第54回(1999年) - 第55回(2000年) - 第56回(2001年) - 第57回(2002年) - 第58回(2003年) - 第59回(2004年) - 第60回(2005年)

第51回(1996年)
第52回(1997年)
第53回(1998年)
第54回(1999年)
第55回(2000年)
第56回(2001年)
第57回(2002年)
作品部門
第58回(2003年)
第59回(2004年)
第60回(2005年)

第61回(2006年) - 第70回(2015年) 編集

目次[注 2] : 第61回(2006年) - 第62回(2007年) - 第63回(2008年) - 第64回(2009年) - 第65回(2010年) - 第66回(2011年) - 第67回(2012年) - 第68回(2013年) - 第69回(2014年) - 第70回(2015年)

第61回(2006年)
第62回(2007年)
第63回(2008年)
第64回(2009年)
作品部門
第65回(2010年)
  • アニメーション部門
    • アニメーション映画賞 『カラフル
    • 大藤信郎賞 該当なし
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 該当なし
第66回(2011年)
  • アニメーション部門
第67回(2012年)
第68回(2013年)
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 『立候補
第69回(2014年)
第70回(2015年)

第71回(2016年) - 編集

目次[注 2] : 第71回(2016年) - 第72回(2017年) - 第73回(2018年) - 第74回(2019年) - 第75回(2020年) - 第76回(2021年) - 第77回(2022年) - 第78回(2023年)

第71回(2016年)
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 『桜の樹の下』
第72回(2017年)
第73回(2018年)
第74回(2019年)
  • TSUTAYAプレミアム映画ファン賞
    • 日本映画部門 『凪待ち』
    • 外国映画部門 『ジョーカー』
  • 特別賞
第75回(2020年)
第76回(2021年)
第77回(2022年)
第78回(2023年)

脚注 編集

注釈
  1. ^ 下記は年度表示であり、授賞式の年は翌年(2月)。
  2. ^ a b c d e f g 下記は年度表示であり、授賞式の年は翌年(2月)。
  3. ^ 1962年に創設
出典
  1. ^ a b c 脇田巧彦 (2011年12月27日). “連載 最後のカツドウ屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録東映六十年(77)”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 14 

関連項目 編集

外部リンク 編集