民団幹部宅焼打事件(みんだんかんぶたくやきうちじけん)とは、1952年昭和27年)8月に起こった在日朝鮮人によるテロ事件[1][2]

概要 編集

首謀者の孔泳淳は、在日朝鮮民主民族戦線の目黒支部書記長であった。孔は逮捕されて第一審懲役5年の判決を受けたが、上告棄却判決のなされる直前の1957年(昭和32年)10月、保釈中に逃亡した[1][2]。逃亡中、孔は三村繁生と名を変え、土木作業員などとして東京都内を転々としながら潜伏をつづけ、のちに北朝鮮工作員となって北総事件を起こし、1974年(昭和49年)に逮捕された[1][2]

脚注 編集

出典 編集

参考文献  編集

  • 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社〈講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0 
  • 諜報事件研究会『戦後のスパイ事件』東京法令出版、1990年1月。 

関連文献 編集

  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4809011474 

関連項目 編集