永松 昇(ながまつ のぼる、1910年3月8日 - 1975年8月18日)は、日本実業家ヤクルト本社初代社長を務めた。

経歴・人物 編集

福岡県遠賀郡若松町(現在の北九州市若松区)出身[1]1923年旧制宇佐中学校に入学[1]。卒業後は、1928年京都市にある乳酸菌飲料メーカーのエリー研生学会に入社した[1]1935年に独立し、ヤクルト研究所を創立し、1955年5月から1963年3月までにヤクルト本社初代社長を務めた[2][3]

1975年8月18日脳血栓のために死去[4]。65歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c 「ヤクルト75年史 上巻 創業の熱き心 p50」
  2. ^ 「ヤクルト75年史 上巻 創業の熱き心 p51」
  3. ^ 「ヤクルト75年史 資料編 p40」
  4. ^ 1975年 8月19日 読売新聞 朝刊 p19