池田澄古

日本の江戸時代中期の武士。因幡鹿奴藩初代藩主池田仲澄三男で、江戸幕府旗本。従五位下佐渡守

池田 澄古(いけだ すみひさ、元禄7年(1694年) - 享保12年10月7日1727年11月19日))は、江戸時代武士池田仲澄の三男。池田吉泰の実弟。通称は二郎四郎、采女、伊織、造酒。官位従五位下佐渡守。

元禄7年(1694年)、因幡国鹿奴藩主・池田仲澄の三男として生まれる。享保8年(1723年)、実兄で鳥取藩主となっていた吉泰の養弟となる。同年7月1日、初めて将軍徳川吉宗に拝謁し、12月18日従五位下佐渡守に叙任する。同12年(1727年)10月7日、34歳で死去した。