沖縄社会大衆党

沖縄県の地域政党

沖縄社会大衆党(おきなわしゃかいたいしゅうとう、: Okinawa Social Mass Party)は、日本の政党政治団体[注 1])。略称は社大党(しゃだいとう)。

日本の旗 日本政治団体
沖縄社会大衆党
Okinawa Social Mass Party
委員長 高良鉄美
書記長 当山勝利
成立年月日 1950年10月31日[1]
本部所在地
〒900-0021
沖縄県那覇市泉崎1-17-19 クリーン泉崎ビル3階
衆議院議席数
0 / 480   (0%)
参議院議席数
1 / 248   (0%)
(2019年7月29日現在)
沖縄県議会議席数
2 / 48   (4%)
(2023年11月4日現在)
市町村議数(沖縄県)
3 / 626   (0%)
党員・党友数
75人
(2015年12月31日現在[2]
政治的思想・立場 中道左派[3][4] - 左派[5]
革新[3]
社会民主主義[3][6]
日米安保と対峙
地域主義

多文化主義
機関紙 『社会大衆』[7]
公式サイト 沖縄社会大衆党
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沖縄県地域政党であるが、参議院にも1議席持ち、国政にも参画する。

概要 編集

社大党は1950年10月31日、沖縄群島知事平良辰雄兼次佐一らによって結成された。当初は比嘉秀平(後の行政主席)や西銘順治(後の沖縄県知事)などの保守系政治家も在籍しており、幅広い階層からの支持を受けていた。その後、比嘉秀平や西銘順治が相次いで離党(比嘉らは琉球民主党を結成した。のち同党は自由民主党に合流)したことで革新色を強めていき、沖縄人民党(後の日本共産党沖縄県委員会)とともに沖縄県祖国復帰協議会に加盟して沖縄本土復帰運動の中心に立っていった。しかし人民党との共闘については党内でも批判があり、度々路線対立が起きた。

1970年国政参加選挙で、衆議院安里積千代が当選し、国会に議席を得た。1972年本土復帰を前に、日本社会党への合流が提案された(このとき、沖縄人民党は1973年に日本共産党に合流した)。当時の安里積千代委員長は党解散の上、各人それぞれが移籍先を選ぶべきだと主張した。安里は復帰後の1972年の総選挙に出馬し、当選すると民社党に移籍した。しかし結局、党自体はどちらにも合流せず沖縄地域政党として存続した。

県政においては、平良良松親泊康晴(いずれも那覇市長を務めた)など、現役党員が首長となるケースが見られる。

綱領自体は「左右の全体主義を排する国民政党」など民社党に近いものだったが、政策・活動は革新色が強くなる。選挙で民社党は自民党と選挙協力が多く、両党は間接的ではあるがしばしば対決することになった。

2020年より参議院議員の高良鉄美が委員長(第13代)を務め、沖縄県議会那覇市議会に議席を有し、沖縄の革新勢力をまとめる存在として根強い影響力を持っている。

歴史 編集

社大党は1950年10月31日に沖縄県で結成された[1]。初代委員長は同年9月の知事選挙で当選した平良辰雄であり[8]、結党宣言で「政治は民衆のためのものであり、民衆のものであるということの自覚と責任」、「ヒューマニズムを基底とした国民政党」、「大衆の力を結集しての新琉球建設」の三点を強調した[9]。社大党は「祖国復帰」を最大の目標に掲げており、1951年に常任委員会で日本復帰署名運動を行うことを決定し、臨時党大会で「日本復帰への願望」を発表[9]。沖縄の日本復帰実現のために以下の要望書を日本政府や合衆国政府、衆参両院の議長、各政党へ提出した[10]

一、琉球を可及的速かに日本に復帰させること。

二、教育制度は日本に直結して内国なみに取扱ふこと。

三、日本に復帰する期間次の処置を構じて貰いたい。 1.琉球住民は日本の国籍を有し日琉間の往来居住の自由を認めること。 2.琉球政府は自治統合政府一本建てとすること。 3.法規は全面的に日本の現行法を準用せしめること。 4.米国の琉球 に対する経済援助を今後も継続すること。 5.日琉間の通商交易については内国待遇をすること。 6.海外移植民及遠洋漁業については日本人として取扱ひ日米両国に於いて保護援助すること。

— 社大党書記長 兼次佐一[10]

1968年1月、アメリカ合衆国のジョンソン大統領は沖縄の行政主席の公選を認め、同年11月の立法院議員選挙と同時に主席公選を実施することとなった。社大党は沖縄社会党、沖縄人民党ら三党で役員会議を開き、革新政党の共闘にむけて意見が一致した[11]。彼らは教職員会や県労協などとともに「明るい沖縄をつくる会」、いわゆる「革新共闘会議」を結成し[12]、革新統一候補として沖縄教職員会の会長の屋良朝苗を決定、同年6月に7つからなる統一綱領を発布した[13]。11月10日に投票が行われ、屋良朝苗が保守派の候補者に圧勝した[14]

復帰後 編集

1972年の沖縄返還によって沖縄は日本への復帰を果たした。社大党は、他の沖縄の政党、例えば沖縄人民党日本共産党に合流したように、中央政党、特に日本社会党に加わるものとみられたが[15]、解党か存続か社会党への移行かで様々な議論が交わされた結果[16]、沖縄の地場政党として活動することとなった[15]。この議論の中で、委員長だった安里積千代は日本復帰と共に解党することを提案し、中央執行委員会は日本への復帰は社大党にとってゴールではなく新たな旅立ちの日であるとして党の存続を決定した[17]

同年に行われた県議会選挙で社大党は候補者全員が当選して議席を7から12に増やすなど躍進を遂げ、沖縄タイムスは「大衆闘争が低迷する中で、土着政党としての社大党の役割を期待する」と評した[18]。1976年に行われた県議会選挙では得票率を4.7%減らして10議席となり、党勢に下降傾向が見え始めた[19]。1980年の県議会選挙ではさらに得票率を減らして当時の書記長までもが落選した。琉球新報は一面に「社大、重大な危機に」と記し、社大党は存続問題に及ぶ事態に陥った[20]。1980年は社大党の結成30周年に当たり、記念して党は『沖縄社会大衆党党史』を出版した[21]

現在の状況 編集

2020年に社大党は結党70周年を迎えた。第13代委員長である高良鉄美は県政記者クラブにおいて「日本国憲法の精神を堅持し、平和で民主的な真の地方自治の確立により、豊かな沖縄の建設を図ることを目指す」という談話を発表した[22]

最近の動向 編集

国政 編集

県内 編集

 
沖縄社会大衆党本部

2006年11月19日の沖縄県知事選挙では糸数が参議院議員を辞職して、無所属で野党統一候補として立候補する。社大・民主・社民・共産・国民新日本・自連の推薦、そうぞうの支持を受け、自民・公明が推薦した仲井眞弘多と争うが落選し、革新勢力は8年ぶりの県政奪還は成らなかった。

16年ぶりに与野党が逆転して革新勢力が多数派となった2008年6月8日の沖縄県議会議員選挙は、同じ野党勢力の民主党・共産党が躍進した煽りを受け、中頭郡選挙区で喜納委員長(当時)が落選し、議席数が改選前の4から2へ半減した。

2008年11月16日の那覇市長選挙は、ふたたび野党統一候補として、元県議の平良長政を、民主・共産・社民・国民新・社大推薦、そうぞう支持で擁立したが落選している。

2010年11月28日の沖縄県知事選挙は、統一候補として前宜野湾市長の伊波洋一を社民・共産・社大・国民新・新党日本推薦、そうぞう支持で擁立したが落選した[39]。この選挙で民主党は候補者を擁立できなかった。

革新勢力の退潮に加え、党員・党友の高齢化が顕著である。社民党や民主党と競合し、地域政党ゆえ政党助成金を受けることができないなど財政も苦しく、党勢の衰えが指摘されている。2010年8月の党大会では「社大党は消えてなくなったものだと言われている。地域の問題にどう取り組んでいるのか、党の活動が発信されていない」と指摘される[40]など、生き残りへの課題も多い。

社大党が他党と共同で擁立・当選した沖縄県内の現職の首長としては、名護市長の稲嶺進などがいる。

2012年沖縄県議会議員選挙は3名を公認し、8名を推薦した。6月10日に投開票の結果、現職2名に加えて前委員長が返り咲いて1議席増の3名となった[41]2014年9月7日に県下の24市町村で行われた統一地方選挙は、名護市石垣市で党公認候補が当選した[42]

2014年沖縄県知事選挙では当時那覇市長の翁長雄志を共産党・社民党・生活の党・県議会会派の「県民ネット」とともに支援。激しい選挙戦の末、オール沖縄が支援する翁長が自民党・次世代の党推薦の現職仲井真弘多政党そうぞう維新の党支援の下地幹郎らを破り当選した。翁長は現職の仲井眞に圧倒的な大差をつけての初当選だった[43]。また翁長市長の知事選出馬に伴い同日に行われた那覇市長選挙は、当時副市長だった城間幹子を翁長同様、共産党・社民党・生活の党らとともに支援。自民・公明両党が推薦する前沖縄県副知事の与世田兼稔を大差で破り、初当選[44]

2016年宜野湾市長選挙では元自民党沖縄県連会長の志村恵の息子で県庁職員の志村恵一郎を、翁長知事や民主党沖縄県連・共産党・社民党・生活の党とともに名護市辺野古への移設計画に反対する統一候補として擁立。宜野湾市米軍普天間基地が所在し、この選挙での勝ち負けが辺野古移設の行く末を決める一大選挙であった。一時は辺野古移設反対を公約とした志村がリードしていたが、自公推薦の現職・佐喜眞淳市長が巻き返し、投開票の結果志村は落選[45]

2016年沖縄県議会議員選挙では党公認候補3名が当選し[46]、県政与党最大会派となる「社民・社大・結連合」を結成した[47]

2020年沖縄県議会議員選挙で委員長の大城一馬が落選し選挙前から1減の2議席にとどまり、大城は政界引退と委員長の辞任を表明した[48]。6月16日、社民党などと会派「沖縄平和ネットワーク」の結成を届け出た[49]が、同名の団体が存在したことから18日「沖縄・平和」に改称した[50]。9月26日に臨時党大会を開き、参議院議員の高良鉄美を委員長に選出した[51]

2022年8月は、翁長雄治県議(翁長雄志元知事の息子)が那覇市長選に出馬するため辞職したことに伴う県議補選(那覇市・南部離島区)に、党副書記長で那覇市議の上原快佐が立候補を表明[52]。翁長が上原を後継指名した一方、玉城デニー知事は元社大党委員長である糸数慶子の長女の未希を推す分裂選挙となった[53]。9月11日の投開票の結果、上原が糸数未希や自民党新人らを下し当選した[54]

2023年11月4日、比嘉京子県議の離党届を受理するとともに、比嘉の副委員長職を解任すると決定。比嘉は次期衆院選沖縄県第4区への立候補に意欲を示しており、党側は事前に党への相談が無かったことを解任理由としている[55]

他党との選挙協力 編集

社大党は、民主党・社民党・共産党・新社会党と各種選挙で協力している。沖縄で限定的ながら、社共共闘が生き残っているのは社大党の力が大きい。しかし、1998年知事選をきっかけに公明党が革新勢力から離れ、自民党に与してからは苦戦が目立つ。2006年に、自由連合も自民党に与するようになった。いずれも共産排除を望む保守系政治団体のそうぞう及び革新とは縁のない民主党と、復帰運動以来の革新の原則を守るべきという日本共産党との間で原則が定まらず漂流する場面も見られる。さらに、普天間基地移転問題で社民党が与党から離脱して以降、特にそれまでの方針を変更して県内移転を推進している民主党との関係が悪化している。

国政選挙では復帰後に安里積千代が当選したあと衆議院選挙では社会党・公明党・共産党の公認候補を推薦、参議院選挙では社会党・共産党・公明党と一緒に革新統一の公認候補を擁立(その場合マスメディアは「諸派」扱い、党派は「革新共闘会議」としていた)または革新統一の無所属候補として4党相乗りで推薦したが(公明党は支持にとどまるほうが多かった)、1992年の参院選で当時の島袋宗康委員長が党公認(革新統一候補・社会党などと一緒に3党の推薦・支持)で立候補し、現職の自民党系候補を破り当選する。これにより沖縄県の自民党参議院議員は県選出が、1995年から比例代表の県出身者を含め2001年の選挙まで一人もいない状態であった。党として安里積千代以来の国政での議席を獲得し、第二院クラブの会派に入り、その間、社大党は二院クラブの沖縄支部も兼ねた。2001年参院選では東京都選挙区から書記長(当時)の新垣重雄が二院クラブ・新社会党・社大党推薦の無所属で出馬したが、落選している。

那覇市議会で社民党と「社社連合」を統一会派として結成しているが、少数にとどまっている。

反米軍基地闘争の経緯から2014年総選挙より野党陣営の選挙協力の体制が整っており、社大のほか、社会民主党日本共産党立憲民主党沖縄県連・那覇市議会『新風会』・沖縄県議会『おきなわ』(旧称「県民ネット」)などの政党・会派が参加している。沖縄県知事那覇市長名護市長ら首長も参加し、2020年6月現在、沖縄県議会において過半数の勢力を確保している[56]

政策 編集

  • 平和・軍備 - 日本国憲法の前文の理念と9条を尊重する立場。故に日米安保条約の破棄を訴える。
  • 基地問題 - 在沖米軍基地の返還と整理・縮小を求め最終的に米軍基地0を目指す。また「日米地位協定」の抜本的な改正を求める。
  • 地方自治 - 道州制の推進。沖縄特別自治州の設置を主張
  • 生物多様性の維持と保護 - 貴重な沖縄の自然を守るため、世界自然保護基金(WWF)や国際自然保護連合(IUCN)との連携し、世界自然遺産登録を推進する。サンゴの保護と再生やジュゴンの生息圏確保を目指す。
  • 交通 - 鉄軌道LRT(新型路面電車)等、新たな公共交通機関の整備を図る。
  • 離島振興 - 自然環境の保護と保全に配慮した上で離島のインフラ整備及び交通運賃の軽減を主張。
  • 尖閣諸島問題 - 国政参加選挙で当選した安里は地域政党を代表する国会議員として、尖閣諸島の領有権問題に関して中国側主張の問題部分を外務委員会で取り上げて、「私は、尖閣列島のこの領有権の主張に対しましては、沖繩返還という問題は非常に重要なる関係を持つ。」として、日本側の立場において疑義は無く、中国と台湾政府に対して毅然とした対応を取っているのか、誤りのないように万全を期してもらいたいと質問している[57]

役職 編集

歴代委員長一覧 編集

氏名 就任日 備考
1 平良辰雄   1950年10月31日 沖縄群島知事、立法院議員
2 安里積千代   1955年11月26日 立法院議員
3 平良幸市   1958年5月3日 立法院議員
4 安里積千代   衆議院議員民社党に移籍し辞任
5 平良幸市   1973年1月 沖縄県議会議員、沖縄県知事就任に伴い辞任
6 嵩原久男   1976年8月 沖縄県議会議員
7 仲本安一   1984年 沖縄県議会議員
8 瑞慶覧長方   1987年 沖縄県議会議員
9 島袋宗康   1989年 沖縄県議会議員、参議院議員
10 喜納昌春   2004年 沖縄県議会議員
11 糸数慶子   2010年8月6日 参議院議員
12 大城一馬   2016年8月 沖縄県議会議員、落選に伴い辞任
13 高良鉄美   2020年9月26日 参議院議員

党勢の推移 編集

 
沖縄社会大衆党旧本部(2008年まで)

衆議院 編集

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 0/- 467 米国占領下のため出馬できず
国政参加選挙 1/1 5
第33回総選挙 1/1 491 民社党へ移籍-1
第40回総選挙 0/1 500

参議院 編集

選挙 当選/候補者 非改選 定数 備考
(結党時) 0/- - 250 米国占領下のため出馬できず
国政参加選挙 0/0 0 2 喜屋武眞榮を支援
第16回通常選挙 1/1 0 252
第18回通常選挙 -/0 0 252 無所属として出馬、当選1
第19回通常選挙 -/0 0 242 無所属として出馬、当選0(東京都選挙区
第20回通常選挙 -/0 0 242 無所属として出馬、当選1
第21回通常選挙 -/0 0 242 無所属として出馬、当選1
第23回通常選挙 1/1 0 242
第25回通常選挙 -/0 0 245 無所属として出馬、当選1

立法院議員選挙 編集

選挙 年月日 議席数
第1回選挙 1952年3月2日 15
第2回選挙 1954年3月14日 12
第3回選挙 1956年3月11日 8
第4回選挙 1958年3月16日 9
第5回選挙 1960年11月13日 5
第6回選挙 1962年11月11日 7
第7回選挙 1965年11月14日 7
第8回選挙 1968年11月10日 8
参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店岩波新書ISBN 4-00-430904-2)。沖縄タイムス編『沖縄年鑑(1969年)』(復刻版)沖縄タイムス。立法院第1回選挙については沖縄人民党史編集刊行委員会編集/発効『沖縄人民党の歴史』、107頁。

所属議員 編集

2022年9月14日時点。

国会議員 編集

2019年7月29日現在、所属国会議員数1名(参議院議員1名)

参議院議員
2025年改選 高良鉄美
沖縄、参1

沖縄県内の党勢 編集

議会 議席数 定数 議員 前回選挙 備考
沖縄県議会 2 48 2020年6月7日 上原は補選で当選
那覇市議会 1 40
  • 平良識子
2021年7月11日
南城市議会 1 20
  • 瑞慶覧長風
2022年9月11日
西原町議会 1 19
  • 喜納昌盛
2022年9月11日 選挙時は無所属で当選


その他 編集

支持・協力関係にある組織 編集

沖縄平和運動センターを中心としたオール沖縄に参加する団体と協力関係を結ぶ。

災害支援 編集

3月11日に発生した東日本大震災の被災者支援のため、3月14日に那覇市内で党員及び有志のメンバーで街頭募金をおこなった。集まった募金は琉球新報を通じて沖縄赤十字会に渡した[58][59]。4月9日にも那覇市内で募金活動を行った[60]。集まった義捐金は4月12日に被災地を訪問した糸数慶子委員長が、被災地で活動する宮城全労協に直接手渡した[61]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 公職選挙法においては政党要件は満たしておらず法的な位置づけは政治団体である。

出典 編集

  1. ^ a b 鳥山, p. 65.
  2. ^ 平成27年分政治団体収支報告書(PDF)の公表(平成27年分 定期公表 平成28年11月30日公表) 第12条関係(平成27年分政党以外)』(プレスリリース)沖縄県、2016年11月30日http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/senkan_i/syushihoukoku/h27tekiyou/documents/okinawasyakaitaisyuutou_1.pdf 
  3. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク 2018年7月7日閲覧
  4. ^ 百科事典マイペディア コトバンク 2018年7月7日閲覧
  5. ^ Yuko Kawato (2015). Protests Against U.S. Military Base Policy in Asia: Persuasion and Its Limits. p. 58
  6. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク 2018年7月7日閲覧
  7. ^ デジタル大辞泉プラス『社会大衆』 - コトバンク
  8. ^ 沖縄社会大衆党が結成される”. 沖縄県公文書館. 2020年11月3日閲覧。
  9. ^ a b 西原, p. 32.
  10. ^ a b 鳥山, p. 66.
  11. ^ 江上 1996, p. 10-11.
  12. ^ 革新共闘会議 (かくしんきょうとうかいぎ)”. 琉球新報 (2003年3月1日). 2020年11月3日閲覧。
  13. ^ 江上 1996, p. 11.
  14. ^ 江上 1996, p. 14.
  15. ^ a b 江上 1985, p. 24.
  16. ^ 江上 1985, p. 27.
  17. ^ 江上 1985, p. 32-33.
  18. ^ 江上 1985, p. 27-28.
  19. ^ 江上 1985, p. 28-29.
  20. ^ 江上 1985, p. 29-30.
  21. ^ 江上 1985, p. 34.
  22. ^ 社大結党70年 低迷打開へ若者照準「フットワーク軽い組織に」”. 琉球新報 (2020年11月1日). 2020年11月3日閲覧。
  23. ^ 公認候補を回避。小選挙区導入後2003年の第43回総選挙まで同党が公認候補を立てなかったのはこの回の同選挙区のみ。
  24. ^ 糸数は島袋の国政進出時も県議の地盤を継承していた。
  25. ^ “島尻氏、大差で再選 投票率52.44% 山城氏に4万票差”. 沖縄タイムス. (2010年7月12日). http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-07-12_7998/ 
  26. ^ “糸数氏が出馬表明 参院沖縄選挙区”. 琉球新報. (2013年4月30日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-206012-storytopic-3.html 
  27. ^ “参院比例に東氏擁立=生活”. 時事通信. (2013年5月13日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013051300872 [リンク切れ]
  28. ^ 参議院議員選挙 新社会党が推薦・支持します』(プレスリリース)新社会党、2013年7月2日http://www.sinsyakai.or.jp/apper/senkyo/130702.html 
  29. ^ “参院選が公示 沖縄選挙区 4氏が届け出”. 琉球新報. (2013年7月4日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-208957-storytopic-126.html 
  30. ^ “沖縄社大党 比例は共産党推薦”. しんぶん赤旗. (2013年5月14日). https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-05-14/2013051401_06_1.html 
  31. ^ “参院選沖縄:県経済団体会議・維新・そうぞう、島尻安伊子氏を推薦”. 沖縄タイムス. (2016年6月30日). https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/34269 
  32. ^ “辺野古反対の伊波氏が当選確実 参院沖縄区”. 沖縄タイムス. (2016年7月10日). https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/51969 
  33. ^ 糸数慶子氏、参院選出馬を断念 社大党が勇退求める 朝日新聞2019年1月11日付
  34. ^ 糸数慶子氏、社大党に離党届 参院選での高良鉄美氏擁立に反発 沖縄タイムス2019年1月19日付
  35. ^ オール沖縄に参院選候補の再考要求 玉城知事後援会長ら 産経新聞2019年3月15日付
  36. ^ 高良鉄美氏が当選確実 参院選沖縄 辺野古新基地に「反対」訴え 沖縄タイムス2019年7月21日付
  37. ^ 2021総選挙 沖縄1区 あかみね氏必勝 共同代表会議 決意固め合う2021年9月5日(日) しんぶん赤旗(2021年10月閲覧)
  38. ^ 参院選公示 沖縄選挙区に5人立候補 18日間の選挙戦始まる 沖縄 NEWS WEB NHKニュース 2022年5月22日
  39. ^ “仲井真氏 知事再選 伊波氏に3万8626票差”. 沖縄タイムス. (2010年11月29日). http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-11-29_12403/ 
  40. ^ “「地域性生かす政策を」 社大党結党60年、党勢回復へ】”. 琉球新報. (2010年11月1日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-169494-storytopic-3.html 2011年2月11日閲覧。 
  41. ^ “県議選 野党・中道が過半数、仲井真県政に打撃”. 琉球新報. (2012年6月11日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-192414-storytopic-3.html 2012年6月14日閲覧。 
  42. ^ “統一地方選 速報”. 琉球新報. (2014年9月7日). http://ryukyushimpo.jp/news/page-484.html 2014年9月8日閲覧。 
  43. ^ “沖縄知事選 翁長氏が圧勝 新基地は造らせない 安倍政権に痛烈な審判”. しんぶん赤旗. (2014年11月17日). https://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-11-17/2014111701_01_1.html 2014年11月23日閲覧。 
  44. ^ “那覇市長は城間氏 初の女性、最多得票10万超”. 琉球新報. (2014年11月17日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-234625-storytopic-123.html 2014年11月21日閲覧。 
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  61. ^ “復興は総力戦で―大震災の被災地を訪ねて”. うみないび(糸数けい子ブログ). (2011年4月14日). http://itokazu.exblog.jp/15811469/ 2011年8月30日閲覧。 

参考文献 編集

論文 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯26度12分39.8秒 東経127度40分39.8秒 / 北緯26.211056度 東経127.677722度 / 26.211056; 127.677722