河鰭基秀

江戸時代前期の公卿。正三位・非参議、右近衛権中将。河鰭家を再興

河鰭 基秀(かわばた もとひで)は、江戸時代前期の公卿左近衛権中将持明院基久の子。官位正三位非参議

 
河鰭基秀
時代 江戸時代前期
生誕 慶長11年(1606年
死没 寛文4年2月11日1664年3月8日
官位 正三位非参議
主君 後水尾天皇明正天皇後光明天皇後西天皇
氏族 持明院家河鰭家
父母 父:持明院基久
兄弟 持明院基征基秀富小路頼直持明院基定正室
正室:土御門泰重の娘
実陳、秀子
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経歴 編集

河鰭公虎(西洞院時慶)が西洞院家を相続したために中絶していた河鰭家を再興した。寛永5年(1628年)右近衛権中将になる。寛永15年(1638年)正月5日に従三位に叙位される。

その後、正三位・非参議に至ったが、寛文3年(1663年)11月10日に出家し、翌寛文4年(1664年)2月11日に薨去。享年59。

系譜 編集

参考文献 編集

  • 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
  • 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。