油川城(あぶらかわじょう)は、青森県青森市大字西田沢字浜田・字山辺(旧陸奥国)にあった日本の城

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油川城
青森県
城郭構造 平山城
築城主 奥瀬氏?
築城年 不明
主な城主 奥瀬判九郎、奥瀬善九郎
廃城年 天正13年(1585年)頃?
遺構 曲輪土塁
指定文化財 史跡等未指定[1][2]
埋蔵文化財
包蔵地番号
青森県No.201036[2]
位置 北緯40度51分38.9秒 東経140度40分16.7秒 / 北緯40.860806度 東経140.671306度 / 40.860806; 140.671306座標: 北緯40度51分38.9秒 東経140度40分16.7秒 / 北緯40.860806度 東経140.671306度 / 40.860806; 140.671306
地図
油川城の位置(青森県内)
油川城
油川城
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概要 編集

中世の城で、築城年代は不明だが、諸書により南部氏に仕えた奥瀬氏の居城とされる。『異聞記』に「油川へは南部奥瀬判九郎下り、外ヶ浜の代官となり、その子善九郎船水讃岐なり」とある。

青森市北西部の沖積地に面した台地に位置し、東西200メートル、南北350メートルの規模で平地の中に孤立した城郭となっていた。現在は畑作地となっているが、曲輪には土塁が残り、15-16世紀の陶磁器や鉄製品などの遺物が散布している[3]

津軽氏の『津軽一統志』に、天正13年(1585年)3月、大浦為信による油川一帯外ヶ浜攻めに際して一戦も交えず田名部に逃げ去ったとある。

脚注 編集

参考文献 編集

  • 児玉幸多坪井清足日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川書店、1985年12月1日。ISBN 4-04-001020-5 

関連項目 編集