浄明寺 (能代市)

秋田県能代市にある寺院

浄明寺(じょうみょうじ)は秋田県能代市檜山字檜山町に所在する真宗大谷派の寺院。山号は善城山。

浄明寺
浄妙寺の山門(県指定文化財)
所在地 秋田県能代市檜山字檜山町40番地
位置 北緯40度10分8.2秒 東経140度6分53秒 / 北緯40.168944度 東経140.11472度 / 40.168944; 140.11472座標: 北緯40度10分8.2秒 東経140度6分53秒 / 北緯40.168944度 東経140.11472度 / 40.168944; 140.11472
山号 善城山
宗派 真宗大谷派
法人番号 2410005003905 ウィキデータを編集
浄明寺 (能代市)の位置(秋田県内)
浄明寺 (能代市)
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檜山安東氏との関係 編集

永正年間(1504年-1521年)に創建された檜山安東一族ゆかりの寺院。開祖の西道は、安東一族出身といわれる。また、四世成就坊は秋田実季の次男だとの記録がある。

浅利勝頼首塚 編集

浅利勝頼首塚がある。勝頼は、兄浅利則祐と対立して安東愛季と内応して1562年に兄を扇田長岡城において自害に追い込み、比内郡地方の領主となったが、愛季に信頼されず、1583年に愛季に檜山城に招かれたところを松前慶広に殺害された。

文化財 編集

山門は安東氏の居城檜山城より移築されたという伝承があり、従前より「城下がりの門」と呼ばれていた。切妻造の一間薬医門で、屋根は当初こけら葺であったという。現在は鉄葺である。1995年平成7年)に解体保存修理工事がおこなわれ、その際、部材より「寛永11年」(1634年)の墨書銘が発見され、江戸時代前半の建立であることが判明した。しかし、建造年代の判明した門としては東北地方でも古いものに属し、桃山様式を残す薬医門として貴重な遺構である。1987年昭和62年)3月17日、県の有形文化財に指定されている。

他に能代市の文化財指定を受けている資料が4件ある。

  • 聖徳太子御影
  • 教如上人寿像
  • 秋田実季書状
  • 黄瀬戸菊皿3点(檜山城跡出土)

本尊 編集

慶長11年(1606年)、五世浄法の安置。像高60cm、伝安阿弥作。

住職 編集

  • 秋田篤(第二十三世)

アクセス 編集

参考文献 編集

  • 「浄明寺山門」秋田県教育委員会編『秋田の有形文化財』19頁、無明舎出版、2001.12、ISBN 4-89544-295-0
  • 「浄明寺山門」秋田県教育委員会編『秋田県の文化財』348頁、秋田県教育委員会、1989.3
  • 「浄明寺」秋田魁新報社出版部編『秋田のお寺』231頁、秋田魁新報社、1997.5、ISBN 4-87020-167-4

関連項目 編集