海山郡(かいざんぐん)は日本統治時代台湾に存在した行政区画の一つであり、台北州に属した。

概要 編集

海山郡は板橋街、鶯歌街、三峡街、中和庄、土城庄を管轄し、現在の新北市板橋区土城区三峽区鶯歌区樹林区中和区永和区に相当する。海山郡の郡名は16世紀に台湾を統治したオランダ人が三峡山から五股地区の冷水坑渓を「Spruijt nae Gaijsan(海山川)」と称したことに由来し、その後海山墾号(後の海山荘及び海山堡)に由来する。1945年、終戦に伴い台北県政府が海山郡に設置されたのち海山郡は廃止され、郡の街は鎮に、庄は郷に改編され台北県の管轄となった。その後は人口の増加にともない中和から永和が、鶯歌から樹林が分割されるなどの変遷があり現在に至っている。

歴代首長 編集

郡守 編集

脚注 編集

  1. ^ 『台湾総督府職員録 大正9年12月』、152頁。
  2. ^ 『台湾総督府職員録 大正13年』、251頁。
  3. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和2年』、259頁。
  4. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和3年』、279頁。
  5. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和5年』、318頁。
  6. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和6年』、327頁。
  7. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和9年』、350頁。
  8. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和12年』、410頁。
  9. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和13年』、436頁。
  10. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和15年』、385頁。
  11. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和16年』、416頁。
  12. ^ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和17年』、436頁。