深山 亀三郎(みやま かめさぶろう、1889年11月19日- 1929年8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐

経歴 編集

陸士24期卒業。同期は、陸軍中将土橋勇逸、陸軍中将沼田多稼蔵。後輩に武藤章がいる。

1927年(昭和2年)11月に鈴木貞一らと共に木曜会を結成。1929年5月、二葉会と木曜会が合流した一夕会にも所属。同年8月に岐阜県飛行機事故に遭い、同乗した小川恒三郎藤岡万蔵と共に死去[1]

邇保姫神社(広島県広島市南区西本浦町12-13)の門柱左に「陸軍砲兵中佐深山亀三郎君殉職之碑」というのが立っている。

略歴 編集

栄典 編集

脚注 編集

  1. ^ 大江志乃夫『張作霖爆殺』47頁
  2. ^ 『官報』第167号「叙任及辞令」1913年2月21日。