清水谷実英

明治期から昭和初期の陸軍軍人、華族

清水谷 実英(しみずだに さねあきら、1866年5月19日慶応2年4月5日[1]〉 - 1938年昭和13年〉10月14日[1])は、明治期から昭和初期の陸軍軍人華族。最終階級は陸軍歩兵中佐伯爵

生涯 編集

山城国京都侍従清水谷公考の長男として生まれ、父の死去に伴い、明治16年(1883年)2月20日に家督を相続した[1][2]。明治17年(1884年7月7日華族令公布とともに伯爵に叙された[3]

陸軍士官学校(旧11期)に入り[4]、明治22年(1889年)7月26日、陸軍歩兵少尉に任官[5]1898年(明治31年)、東宮武官(当時は大尉)に任ぜられ、明治35年(1902年)まで務める[6]。その他、歩兵第3連隊付、同大隊副官、近衛歩兵第2連隊大隊副官、同連隊中隊長、後備歩兵第6連隊大隊長などを歴任し、日清戦争日露戦争に出征した[2]。その後、軍人としては歩兵中佐まで昇る[1][2]

昭和3年(1928年9月26日、即位礼に関連して臨時に掌典次長に任じられ[7]、同年12月31日に退官となった[8]。また、宮中顧問官侍従を務める。

1938年(昭和13年)死去、享年71。家督は子の公揖が継いだ[1]

栄典 編集

親族 編集

『平成新修旧華族家系大成』上巻, pp. 753–754を参照。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』上巻, pp. 753–754.
  2. ^ a b c 『人事興信録』上、第10版, p. シ75.
  3. ^ 『官報』第307号, p. 4, 「叙任」.
  4. ^ 『陸軍士官学校』, p. 230.
  5. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿:明治36年7月1日調』, p. 134.
  6. ^ 『日本陸海軍総合事典』, p. 297.
  7. ^ 『官報』第528号, p. 6, 「叙任及辞令」.
  8. ^ 『官報』第606号, p. 8, 「彙報(官庁事項):退官」.
  9. ^ 『官報』第3301号, p. 25, 「叙任及辞令」.
  10. ^ 『官報』第1001号, p. 4, 「叙任及辞令」.

参考文献 編集

  • 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿:明治36年7月1日調』陸軍省編、陸軍省、1903年。 
  • 『人事興信録』上巻、人事興信所編(第10版)、人事興信所、1934年。 
  • 『陸軍士官学校』山崎正男編、秋元書房、1969年。 
  • 平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年。 
  • 『日本陸海軍総合事典』秦郁彦編(第2版)、東京大学出版会、2005年。 

官報 編集

  • 『官報』第307号、1884年7月8日。 
  • 『官報』第3301号、1894年7月2日。 
  • 『官報』第1001号、1915年12月2日。 
  • 『官報』第528号、1928年9月27日。 
  • 『官報』第606号、1929年1月9日。 
日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
清水谷家初代
1884年 - 1938年
次代
清水谷公揖