清水超波

江戸期の日本の俳人

清水 超波(しみず ちょうは、元禄15年[1]1702年[1]) - 元文5年7月22日[2][注釈 1]1740年8月14日))は、江戸時代中期の日本の俳人[2][3]。「清濁庵」と名乗ったが[3]、後に点者となり「独歩庵」と名乗り、は始め「長巴」、後に「超波」とした[1]通称長兵衛[3]

清水 超波
誕生 1702年
日本の旗 日本江戸
(現:東京都
死没 1740年8月14日
日本の旗 日本
職業 俳人
ウィキポータル 文学
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経歴 編集

清水は江戸の人で堺町(現日本橋人形町)に住み、始めは味噌商人で長兵衛と称したが、商売を嫌い剃髪して家紋の巴と長の字を合わせて長巴と号し[4]、桑岡貞佐に俳諧を学ぶ[3][2]。享保16年(1731年)に刊行した『落葉合』は其角の『若葉合』に対応したもの[3]。享保18年(1733年)に師の『代々蚕』を継いで『紙蚕』を刊行した[3]。元文5年(1740年)に没した。墓所は浅草阿部川町の弥念寺にある[3]

十七回忌追善集として『はせを』が刊行されている[5]

作品 編集

俳句 編集

  • 日の昼や流の靨水すまし[3]
  • 蜻蛉(かげろう)や飛なほしてももとの枝[6]
  • 西行は弓矢とる身の案山子かな[6]
  • 荒海は舟からなげる氷かな[6]
  • 河えびや陸(くが)へあがればきりぎりす[4]

刊行句集 編集

  • 独歩庵超波 編『落葉合』享保16 [1731] 序[7][8]
  • 超波『紙蚕』若菜屋小兵衛[9],松葉軒万屋清兵衛[10], 享保18 [1733]

関連項目 編集

脚注・出典 編集

注釈 編集

  1. ^ 俳諧人名辞典では7月12日、日本人名大辞典では7月27日となっている。

脚注 編集

  1. ^ a b c 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “清水超波(しみず ちょうは)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年2月1日閲覧。
  2. ^ a b c 嵯峨正作 編『大日本人名辞書』経済雑誌社、明治18年-19年、1243頁。NDLJP:779849/223 
  3. ^ a b c d e f g h 高木蒼梧『俳諧人名辞典』明治書院、1960年、302頁。NDLJP:1345669/164 
  4. ^ a b 竹窓玄々一 遺稿, 蓬廬青々 参訂『俳家奇人談』今古堂〈俳諧叢書;第6編〉、1892年、145-146頁。NDLJP:993059/75 
  5. ^ 雲英末雄「翻刻・超波17回忌追善集「はせを」」『国文学研究』第90巻、早稲田大学国文学会、1986年10月、72-85頁、NDLJP:7895512/38 
  6. ^ a b c 「歌誹百人首」『貴女之友』第69号、東京教育社、1890年3月、12-17頁、NDLJP:1559328/10 
  7. ^ 国立国会図書館古典籍資料”. ndlonline.ndl.go.jp. 2023年3月20日閲覧。
  8. ^ 落葉合 / 独歩菴超波[編]”. www.wul.waseda.ac.jp. 2023年3月20日閲覧。
  9. ^ 国立国会図書館古典籍資料”. ndlonline.ndl.go.jp. 2023年3月20日閲覧。
  10. ^ 帋蚕.(1),(3) / 超波[編]”. www.wul.waseda.ac.jp. 2023年3月20日閲覧。