渋川貞基

戦国時代の武将

渋川 貞基(しぶかわ さだもと)は、戦国時代武将九州探題。父親は不明。足利将軍家通字である「義」の一字を下賜されたが、その名前は不明[1]

 
渋川貞基
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
改名 貞基(初名)→不明(義の字を賜っている)
官位 左兵衛督
幕府 室町幕府 九州探題
氏族 渋川氏
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概要 編集

大舘常興日記』天文10年(1541年)11月7日条に「九州たんたい渋川殿、今の名乗貞基」とあり、渋川貞基という人物が跡を継ぎ、義の字を賜り左兵衛督に任官されたと考えられるが系譜は不明。諸寺出世事(九州五山寺院の住寺職への補任権の安堵)もなされているため、この時点でも九州において最も権威がある武士は九州探題渋川氏であった[2]

脚注 編集

  1. ^ 黒嶋敏「九州探題考[1]
  2. ^ 黒嶋敏「九州探題考[2]