渋河兼忠

平安時代後期から鎌倉時代の武将

渋河 兼忠(しぶかわ かねただ、生年不詳 - 建仁3年9月2日1203年10月8日))は、平安時代後期から鎌倉時代の武将。刑部丞。子に渋河兼守[1]。渋川兼忠とも。

人物 編集

上野渋河荘(現渋川市)の人物[2]。娘を鎌倉幕府の有力御家人比企能員に嫁がせているが、建仁3年(1203年9月2日比企能員の変が起こり、その夜誅殺された[3]

系譜 編集

脚注 編集

参考文献 編集

  • 『鎌倉北條一族』(1983年、新人物往来社
  • 『東松山市の歴史』(1985年、東松山市)
  • 『信濃の歴史と文化の研究』(1990年、黒坂周平先生の喜寿を祝う会)