源彦仁

鎌倉時代中期から後期の皇族・公卿。順徳源氏。母は藤原範能(左馬権頭)の娘(子に彦豊王(王子加々)、尊忠(延暦寺、僧正、梶井、入江))。正三位・左近衛中将

源 彦仁(みなもと の よしひと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての皇族公卿順徳天皇の孫で、無品忠成王の子。官位正三位左近衛中将

 
源彦仁
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 不明
死没 永仁6年3月23日1298年5月5日
改名 彦仁王→源彦仁
別名 四辻彦仁[1]、石蔵三郎宮
官位 正三位左近衛中将
主君 伏見天皇
氏族 順徳源氏
父母 父:岩倉宮忠成王、母:藤原範能
兄弟 彦豊王彦仁
二条良実娘、三条公親
忠房親王承鎮法親王守子内親王
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経歴 編集

文永年間(1260年代)後嵯峨天皇の第一皇女・月花門院(綜子内親王)と密かに通じていたという[2]

永仁2年(1294年)に元服する。永仁4年(1296年)二世王としての蔭位により従四位下に直叙され侍従に任ぜられる。翌永仁5年(1297年)には4月従四位上、6月従三位、11月正三位と1年間で五階の昇叙を受ける。この間に左近衛中将に任ぜられるが、永仁6年(1298年)3月23日薨去。最終官位は左近衛中将正三位。

官歴 編集

公卿補任』による。

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ 『増鏡』
  2. ^ 『増鏡』巻8「あすか川」
  3. ^ 天台座主記』『諸門跡伝』では実は忠房親王の子とする。

出典 編集

  • 『公卿補任 第二篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年