源 益(みなもと の まさる/すすむ、生年不詳 - 元慶7年11月10日883年12月13日))は、平安時代前期の官人嵯峨源氏無位源澄の孫で、従五位下・源蔭の子。母は陽成天皇乳母紀全子

経歴 編集

元慶7年(883年)11月10日に殿上天皇に近侍していたところ、突然何者かに殴殺された。内裏での事件であったことから秘密にされ、部外者に詳細は伏せられた[1]。なお、内裏で死人が出たことにより、同月13日に予定されていた大原野祭を始めとして[2]、同16日の新嘗祭[3]、同17日の節会[4]など、1ヶ月ほどの間各種の祭祀がことごとく中止となった。

玉葉』には、陽成天皇が事件に関与していたとの風聞があったことが記されている。

以上の経緯から、殺害したのを陽成天皇本人とみる説が有力になっているが、一方で退位後の陽成の振る舞いからの憶測に過ぎず、事件への関与を示す証拠はないとする指摘もある[5]

系譜 編集

  • 父:源蔭
  • 母:紀全子
  • 妻:不詳

脚注 編集

  1. ^ 日本三代実録』元慶7年11月10日条
  2. ^ 日本三代実録』元慶7年11月13日条
  3. ^ 日本三代実録』元慶7年11月16日条
  4. ^ 日本三代実録』元慶7年11月17日条
  5. ^ 上野正裕『日本古代王権と貴族社会』八木書店、2023年、P433-434.

参考文献 編集