牟佐大塚古墳(むさおおつかこふん)は、岡山県岡山市北区牟佐にある古墳。形状は円墳。国の史跡に指定されている。

牟佐大塚古墳

墳丘全景
所在地 岡山県岡山市北区牟佐
位置 北緯34度43分30.81秒 東経133度58分36.48秒 / 北緯34.7252250度 東経133.9768000度 / 34.7252250; 133.9768000座標: 北緯34度43分30.81秒 東経133度58分36.48秒 / 北緯34.7252250度 東経133.9768000度 / 34.7252250; 133.9768000
形状 円墳
規模 直径30m
高さ8.5m
埋葬施設 横穴式石室
(内部に刳抜式家形石棺
築造時期 6世紀末頃
史跡 国の史跡「牟佐大塚古墳」
地図
牟佐大塚 古墳の位置(岡山県内)
牟佐大塚 古墳
牟佐大塚
古墳
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箭田大塚古墳こうもり塚古墳と並んで、岡山県三大巨石墳の1つに数えられる。

概要 編集

 
石室パース図
 
石室展開図
 
石棺展開図

古墳時代後期から終末期にかけての6世紀末に築造されたと考えられている。墳径約30m・高さ約8.5m。牟佐集落内にあり周囲に道路が通り古くより裾部が削られているが、復元すると直径40m、高さ10mを上回る大型の円墳であると考えられている[1]

南側に花崗岩の巨石を組み合わせた横穴式石室が開口している。石室は両袖式で全長約18m、玄室は奥行6m・幅2.8m・高さ3.2m、羨道は長さ約12m・幅1.8m~2.4mで入口に向かって広くなっており高さは2.1mである。玄室には長さ2.88m・幅1.6m・高さ1.5mの刳抜式家型石棺がある。石棺は貝殻石灰岩[2]製で岡山県井原市浪形山で産出されたものである。石棺には盗掘のため小口の穴が開いている。

古墳は、古代山陽道が旭川を渡る地点の近くに位置する。岡山平野・岡山県東部・美作を結ぶ要衝の地にあり、被葬者は当地域の交通権を掌握した国造クラスの人物であろうと考えられている[3]。またはこの地の豪族である上道氏の墳墓とも推察されている[4]

古墳域は1930年昭和5年)に国の史跡に指定されている[5]

文化財 編集

国の史跡 編集

  • 牟佐大塚古墳 - 1930年(昭和5年)2月28日指定[5]

脚注 編集

  1. ^ おかやまの埋もれた歴史再発見 No.13 牟佐大塚古墳 岡山市教育委員会文化財課
  2. ^ 現地説明板(2009年 岡山市教育委員会/設置)では貝殻凝灰岩と記述
  3. ^ 現地説明板(2009年3月 岡山市教育委員会/設置)
  4. ^ 岡山市の文化財探訪3 岡山市の古墳3 -後期古墳-No.3 牟佐大塚古墳 岡山市デジタルミュージアム
  5. ^ a b 牟佐大塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献 編集

  • 乗岡実・行田裕美編、『吉備の古墳 上〔備前・美作〕 -吉備考古ライブラリィ4-』、吉備人出版、1996年、79-80ページ。ISBN 978-4-906577-44-6
  • 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会編、『新版 岡山県の歴史散歩』、山川出版社、1991年、51ページ。ISBN 978-4634293304
  • 現地説明板 岡山市教育委員会設置、2009年3月。

外部リンク 編集