牟岐浦異国船漂着事件(むぎうらいこくせんひょうちゃくじけん)もしくは異国船牟岐浦漂着事件(いこくせんむぎうらひょうちゃくじけん)は、1830年1月14日(旧暦:文政12年12月20日)にイギリス黒船が現在の徳島県沿岸に出没した事件。

徳島藩士・浜口巻太(御牧)の見聞記『異国船舶来話并図』に描かれた黒船(キプロス号)[1]

概要 編集

文政12年12月20日午前9時ごろ、イギリスの黒船が現在の美波町日和佐沖合に現れ、その後、牟岐町沖に移動した。徳島藩は、藩士や農民を動員して沿岸を警備。同月23日、徳島藩は異国船打払令に従って発砲したところ、船は出港して行方不明になった。2015年以降に資料の再発掘、評価が行われた結果、漂着した船はイギリスの支配下にあったオーストラリアタスマニア島で、護送中の囚人が反乱を起こして奪ったキプロス号と判明している[2]

日本初のブーメラン投擲 編集

徳島藩士である廣田勘左衛門がまとめた報告書『文政十二年十二月異国船牟岐浦漂着一件留書』では、徳島藩が船に接近した際に投げ込まれた「く」の字の物体が記されており、オーストラリアアボリジニが使用していたブーメランではないかと考えられている[3]

脚注 編集

関連項目 編集