牧岡鉄弥

明治時代に活躍した日本聖公会の司祭

牧岡 鉄弥(まきおか てつや、安政元年12月18日1855年2月4日) - 大正8年(1919年6月20日)は、明治時代に活躍した日本聖公会司祭

まきおか てつや

牧岡 鐡彌
築地聖パウロ教会の責任者の牧岡(28歳)
生誕 (1855-02-04) 1855年2月4日
日本の旗 日本 越後国与板(現、新潟県長岡市与板)
死没 (1919-06-20) 1919年6月20日(64歳没)
日本の旗 日本 愛知県名古屋市
国籍 日本の旗 日本
職業 教育者祭司
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生涯 編集

 
1883年第三回全国基督信徒大親睦会の幹部の記念写真、牧岡は前から2列目の左から3人目

越後国与板長岡藩の支藩与板藩の武術指南の家に生まれる。その後、牧岡家へ養子になる。1876年(明治9年)に新潟で伝道していたP・K・ファイソンから洗礼を受ける。洗礼を受けたのち、献身を決意して、ファイソンの経営してた貧民学校の仕事を手伝う。[注釈 1]

1883年(明治16年)に上京して、東京府銀座1丁目にある大英聖書会社(イギリス聖書協会)の管理をしながら、築地聖パウロ教会を担当する。上京して間もない5月には第三回全国基督教信徒大親睦会に幹部として参加する。

1883年より築地聖パウロ教会は牧岡を仮牧師として自給を行う日本最初の自給教会になる。その後、牧岡は徳島大阪中国地方で牧会をする。

1890年(明治23年)3月2日には執事に、1891年(明治24年)12月20日に司祭按手礼を受ける。晩年は、名古屋に住み中部地区の元老として活躍する。

1911年(明治44年)1月1日に中部地方郡が成立したときは創立委員長として活動する。名古屋では「伝道の鬼」と言われた。[注釈 2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ファイソン宣教師は1875年から1882年まで、新潟で宣教活動をしており、牧岡、芥川清五郎ら2名が洗礼を受け、10名ほどの信徒の教会を形成した。(松平 1988, pp. 1310本井 1988, pp. 1185)
  2. ^ 市内の祭りや行事の時、人の集まる所に出かけて伝道説教を行った故についた渾名(松平 1988, pp. 1310)

出典 編集

参考文献 編集

研究書 編集

  • 高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年。ISBN 4-642-03752-7 
  • 守部喜雅『日本宣教の夜明け』いのちのことば社、2009年。ISBN 978-4-264-02638-9 

事典 編集

  • 松平惟太郎「牧岡鉄弥」『日本キリスト教歴史大事典』1988年、1309-1310頁。 
  • 本井康博「ファイソン」『日本キリスト教歴史大事典』1988年、1185頁。 
  • 大西晴樹「パーム」『長老・改革教会来日宣教師事典』2003年、305-318頁。ISBN 4-400-22740-5