松野 新九郎(まつの しんくろう、1849年9月29日(嘉永2年8月13日[1])- 1897年明治30年)1月13日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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藤木泰賢の二男[1]として山城国愛宕郡西紫竹大門村(京都府愛宕郡鷹峯村京都市上京区を経て現京都市北区)に生まれ、1865年(慶応元年2月)祖父・松野新九郎(のち新平に改名)から家督を相続[1][3]。幼くして春日潜庵の高弟中川靖太郎[1]について漢籍を修める[4]。24歳にして愛宕郡第二区長兼葛野郡第九区長に就任し、1879年(明治12年)京都府会議員に当選した[4]。府会では常置委員、副議長、議長、郡部会副議長などを務め、3期在任して1886年(明治19年)10月に辞任し、愛宕郡長兼葛野・乙訓郡長、相楽郡長兼綴喜郡長、京都公民会幹事兼常議員などを歴任した[1][2]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では京都府第3区から出馬し当選[2]大成会に所属し衆議院議員を1期務めた[2]。1892年(明治25年)2月の第2回総選挙では僅差で落選し、同年4月、相楽郡長兼綴喜郡長に再任され、木津の泉橋架橋に尽力し、病のため1896年(明治29年)11月に退官し、1897年1月に癌のため死去した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『京都府議会歴代議員録』473-475頁。
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 468頁.
  3. ^ 篠田 1891, 111-112頁.
  4. ^ a b 篠田 1891, 112頁.

参考文献

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