前田則邦

日本の江戸時代後期~大正時代の武士・政治家・実業家・画家。越中富山藩士前田利民(9代藩主前田利幹次男)の子。富山師範学校校長・十二銀行頭取・富山市長等を歴任

前田 則邦(まえだ のりくに、1847年7月4日弘化4年5月22日[1])- 1915年大正4年)8月23日[1])は、富山県の政治家、実業家、画家。

前田 則邦
まえだ のりくに
生年月日 1847年7月4日
没年月日 (1915-08-23) 1915年8月23日(68歳没)

初代 富山市長
当選回数 1回
在任期間 1889年6月2日 - 1895年5月27日
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経歴

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画家としても山水画を残している。

脚注

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  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、176頁。
  2. ^ 富山市史編纂委員会編『富山市史 第一編』(p981)1960年4月 富山市史編纂委員会
先代
-
富山市長
初代:1889年 - 1895年
次代
市川伯孝