篠原重之
安土桃山時代から江戸時代の武将。
幼少より、優秀で勇敢であったという。1615年(元和元年)、大坂夏の陣にて大坂城が陥落した後、九州へ落ちる。九州を転々と移り住み、肥後国海東郷(現・宇城市)に居を定める。残党狩りを逃れるため、姓を木村から篠原に改めた[1]。
島原の乱などで活躍する。1693年(元禄6年)、海東郷にて93歳で死去。法名は浄山院本然清雲居士。墓は熊本県宇城市小川町南海東筒田にある[2]。
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