崔 彦撝(チェ・オニ、朝鮮語: 최 언위868年 - 944年)は新羅末期から高麗初期の文人。本貫は慶州崔氏。

崔彦撝
各種表記
ハングル 최 언위
漢字 崔 彦撝
発音 チェ・オニ
RR式 Choe Eon-wi
MR式 Ch'oe Ŏnwi
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人物 編集

慶州出身。初名は「愼之」。六頭品出身の官僚で、885年にに留学し、895年に中国の科挙に及第した。42歳で帰国し、執事省侍郞や瑞書院学士に任命された。新羅が滅亡すると高麗に仕え、太子師傅に任命され、文翰を司った。王都開京の宮殿の殿閣や堂宇は全て崔彦撝が命名したとされ、王命により僧侶の碑銘を揮毫したものが多く遺されている。大相、元鳳太学士、翰林院令などを歴任し、子孫の多くは門閥貴族となった。

崔致遠の従弟で、致遠や崔承祐とともに「一代三崔(일대삼최)」と並び称された。諡号は文英。

参考文献 編集