「オリュンピアス」の版間の差分

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== 名前について ==
[[File:Jupiter-and-olympia-1178.jpg|thumb|right|オリュンピアスを誘惑する[[ゼウス]]([[ジュリオ・ロマーノ]]によるフレスコ画、パラッツォ・デル・テ)]]
オリュンピアスは、[[イピロス|エペイロス]]における古代ギリシア系氏族[[:En:Molossians{{仮リンク|モロッソイ]]|en|Molossians}}の王[[ネオプトレモス1世]]の娘で、エペイロス王アレクサンドロス1世
[[En:Alexander{{仮リンク|アレクサンドロス1世 I of Epirus(エピロス王)|label=アレクサンドロス1世]]|en|Alexander I of Epirus}}の姉妹である。オリュンピアスの一族は、[[アキレウス]]の息子[[ネオプトレモス]]の後裔でアイアキダイ([[アイアコス]]の末裔)であるとされ、エペイロスで尊敬を集めていた。[[プルタルコス]]『倫理論集(モラリア)』での言及によると、彼女はもともとはポリュクセナと名づけられたらしい。その後マケドニア王[[ピリッポス2世]]との婚姻にあたりミュルタレに名を変えた。この改名はとある密儀宗教への入信儀式の一幕だった。
 
「オリュンピアス」はいまに知られる彼女の4つの名のうち3番目にあたる。この名はおそらく、[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス]]の出産と同時に、紀元前356年の[[古代オリンピック|オリュンピア競技会]]でピリッポスの所有する競走馬が優勝したとの報がもたらされた(プルタルコス『アレクサンドロス伝』3.8)ことから選ばれたのだろう。彼女の最後の名はストラトニケである。この名は紀元前317年に[[マケドニア王国|マケドニア]]王妃[[エウリュディケ2世]]に勝利した際に与えられた[[:En:Epithet{{仮リンク|形容語句|label=添え名]]|en|Epithet|preserve=1}}だと思われる。
 
== 脚注 ==