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→‎西ドイツ: 特別:投稿記録/240F:53:BA47:1:14F:EC37:B030:4143によって特別:差分/60609927で加筆された記述を除去。虚偽内容の加筆、おそらく特別:投稿記録/106.165.187.65と同一人物
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: これらは[[ドイツ空軍 (ドイツ連邦軍)|西ドイツ空軍]]では主に低空侵攻用の戦闘爆撃機としても用いられ、近接支援任務のほか核攻撃任務が付与され、[[ニュークリア・シェアリング|アメリカ軍管理]]の[[核爆弾]]250発と作戦機が分散配置された。また、[[ドイツ海軍 (ドイツ連邦軍)|西ドイツ海軍]][[海軍航空隊 (ドイツ連邦軍)|航空隊]]においては[[北海]]および[[バルト海]]における対艦攻撃任務に用いられ、2発の[[コルモラン (ミサイル)|AS.34 コルモラン]][[空対艦ミサイル]]を装備可能であった。
: 上述の通りアメリカ空軍においては、搭載量と航続距離の不足から、[[戦闘爆撃機]]としては不適とされたが、高翼面荷重故の突風に対する安定性、海面高度でマッハ1.15の高速、機体規模の小ささ故の低被発見率など、その長所を生かしての運用がなされた。
: {{要出典範囲|date=2018年2月|1964年からベトナム戦争が始まると、西ドイツは援助として兵力をはるばる南ベトナムに派遣している。|title=西ドイツの南ベトナムへの派兵が事実であることを示す根拠が必要}}。
: 天候の良いアメリカでの訓練を受けて帰国したパイロットが、{{要出典範囲|date=2013年4月|欧州の悪天候に不慣れなまま起こす事故が相次いだこともあって、パイロットの死亡例が多い機種であった|title=該当機種の航空事故について代表的なものを例示した上で、他機種と比較して事故が多発していたことを示している資料が必要である}}。そのため、「'''未亡人製造機'''(Witwenmacher、英語読みの'''ウィドウメーカー'''(Widowmaker)でも知られる)」、「空飛ぶ棺桶(fliegender Sarg)」、「縁起の悪いジェット機」、「[[アンカーボルト]]」または「テントの[[ペグ]]」(Erdnagel)」などの仇名で呼ばれていた。西ドイツ空軍においては、916機中292機が失われた。墜落が相次いだため、[[第二次世界大戦]]の[[撃墜王]]で西ドイツ空軍総監の[[ギュンター・ラル]]ら軍上層部は批判にさらされた。一方、導入選定時、同じく第二次世界大戦の撃墜王だが西ドイツ空軍大佐として部隊司令・パイロットとして、いわゆる現場近くにいた[[エーリヒ・ハルトマン]]は、当機の導入を反対していたとされる。後にヨーロッパ化と呼ばれる訓練プログラムを追加している。
: 1970年代に入ると、第51、第52の2個偵察航空団が[[F-4 (戦闘機)#偵察型|RF-4E]]へ機種転換し、第36戦闘爆撃航空団と第71、第74戦闘航空団が[[F-4 (戦闘機)#ドイツ (旧西ドイツ)|F-4F]]に機種転換した。さらに1980年代には他の4個戦闘爆撃航空団と2個海軍航空団(1993年には第51偵察航空団も)が[[トーネード IDS]]へ機種転換し、1987年には西ドイツ空軍の実戦部隊からF-104は姿を消し、試験機として残っていた機体も[[1991年]][[5月22日]]に退役した。