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{{基礎情報 宗教
|宗教名=バハイ信教
|成立年=1844年
|創始者=バハオラ
|聖典=『アグダスの書』、その他バハイの文献
|画像=Seat of the House of Justice.jpg
|caption=イスラエルのハイファに位置するバハイの統治機関である、万国正義院の座
|信仰対象=唯一神
|信者数=500万 - 800万人
|発祥地=イラン
|本拠地={{仮リンク|バハイ世界センター|en|Baháʼí World Centre}}{{sfn|Smith|2000|pp=71–72|loc=Baháʼí World Centre}}
|備考=最も新しい世界宗教}}
'''バハイ信教'''(バハイしんきょう)とは、19世紀に創始された宗教
バハイ信教には三人の中心人物がいる。異端として処刑されたバブ
バハイの教えによれば、宗教は、人類の歴史を通して、主要な世界宗教の創始者である「神の顕示者」たちを通して、唯一の神によって整然と累進的な方法で啓示される。ブッダ、イエス、ムハンマドは、バブやバハオラより前に現れた最近の顕示者として記されている。バハイ信教は、世界の主要な宗教は基本的に目的において統一されているが、社会的な実践や解釈の点では異なっていると考えている。バハイ信教は、その中心的な教えとしてすべての人々の一体性を強調し、人種差別、性差別、ナショナリズムの概念を明確に否定している。バハイの教えの中心にあるのは、すべての国、人種、信条、階級の繁栄を保証する統一された世界秩序の目標である
バハオラによる手紙や書簡、彼の息子のアブドル・バハによる書物や講話は、バハイの聖典の正典として収集され、整理されている。このコレクションには、バハオラの先駆者とされるバブの聖典も含まれている。バハイ文献の中で著名なものは、『アグダスの書』(最も聖なる書)『ケタベ・イガン』(確信の書)『質疑応答集』『夜明けを告げる人々』である。
== 語源の説明 ==
バハイ(بهائی) という単語は、バハイ信教を指す形容詞として、またはバハオラの信者を指す用語として使用される。宗教の正式名称はバハイ信教であり、バハイでもバハイスムでもない(後者はかつて学者の間で一般的であったが、バハイ信教では蔑称とみなされている){{sfn|Stockman|2013|p=1}}{{R|Hatcher_Martin_1998|page=xiii}}。
文字の上のアクセント記号は長母音を表し、1923年にバハイによって採用されたアラビア文字とペルシア文字の音訳システムに由来し、それ以来、ほぼすべてのバハイの出版物で使用されている
== 信条 ==
バハオラの教えはバハイの信仰の基礎を形成している。これらの教えの中心となるのは三つの原則であり、それはすなわり、神の一体性、宗教の一体性、人類の一体性である。バハイは、神が定期的に聖なる使者を通して自身の意志を明らかにすると信じており、その目的は人類の性格を変革し、使者の呼びかけに応える人々の中に道徳的、精神的な資質を発展させることである。宗教はこのように、秩序があり、統一され、時代から時代へと進歩していくと考えられている
=== 神 ===
バハイの書物では、宇宙の万物の創造主である、唯一の存在であり、人格的で、近づくことはできない、全知にして遍在する、不滅で、全能の神について記述している
バハイの教えは、神は人間が完全に理解するにはあまりにも偉大であり、それらに基づいて、人間は自分自身で神の完全で正確なイメージを創り出すことはできないと述べている
=== 宗教 ===
累進的な宗教的啓示についてのバハイの観念は、世界のよく知られた宗教の妥当性を受け入れることに帰結し、その創始者や中心的人物が神の顕示者とみなされる
バハイは、自分たちの宗教は独自の聖典と法を持つ、他とは明確に異なる系統であり、他の宗教の宗派ではないと主張している
=== 人間 ===
バハイの書物は、人間には「理性的な魂」があり、それが神の地位と、その創造主と人間の間の関係を認識する独特な能力を人類に与えていると述べている。あらゆる人間は、神の顕示者を通して神を認め、顕示者がもたらした教えに従う義務があるとされる。認識と服従、人類への奉仕、定期的な祈りと精神的な実践を通して、魂は、バハイの信念における精神的理想である神に近づくとバハイの書物は述べている
バハイの書物は、人間の本質的平等と偏見の廃止を強調している。人類は、非常に多様ではあるが、本質的には一つであると見なされており、人種や文化の多様性は、感謝し受け入れる価値があるものと見なされている。[[人種差別]]、ナショナリズム、[[カースト]]、社会階級、ジェンダーに基づくヒエラルキーの教義は、和合への人為的な障害と見なされている
=== 社会的原則 ===
1911年から1912年にかけて、アブドル・バハが初めてヨーロッパとアメリカを旅したとき、彼はバハイ信教の基本原則を明確にする公の講演を行った
バハイによって古くからの真理とみなされる人類の一体性の概念は、多くの考えの出発点である。たとえば、人種の平等や極端な貧富の差の解消は、その一体性の意味することである
その他のバハイの社会的原則は、精神的な和合を中心に展開している。宗教は時代から時代へと進歩するものとみなされているが、より新しい啓示を認識するためには、伝統を捨て、独自にその啓示を探求しなければならない。バハイは宗教を和合の源として、宗教的偏見を破壊的なものとして捉えるように教えられている。科学はまた、真の宗教と調和するものと見なされている
1921年から1957年まで宗教の長であったショーギ・エフェンディは、バハオラの教えの際立った原則と考えられるものを以下のように要約し、『アグダスの書』の法と規定とともにバハイ信教の基盤を構成していると述べている。
{{Bquote|迷信や伝統にとらわれず、真理を独自に探究すること。全人類の一体性、これが信教の極めて重要な原理であり基本的な教義であること。すべての宗教の基本的な一体性。宗教的、人種的、階級的、国家的など、いかなる形式であれ、あらゆる偏見を非難すること。宗教と科学の間に存在すべき調和。人類という鳥が飛翔するための両翼である男女の平等。義務教育の導入。世界共通の補助言語の採用。極端な貧富の差の廃止。国家間の紛争を裁くための世界裁判所の設置。奉仕の精神で行われる労働を崇拝の地位に高めること。人間社会を支配する原理としての正義と、すべての民族と国家を保護する防波堤としての宗教を称揚すること。そして、全人類の至高の目標としての恒久的かつ普遍的な平和の確立、これらが(バハオラの宣言した)本質的な要素として際立っている === 聖約 ===
バハイは和合を非常に重視する。バハオラは共同体をまとめ、意見の相違を解決するためのルールを明確に定めた。この枠組みの中で、個々の信者は聖典の「霊感を受けた」または「権威ある」解釈を提案することはできず、個人はバハイの聖典で確立された権威の系統を支持することに同意する
== 聖典 ==
バハイ信教の正典は、バブ、バハオラ、アブドル・バハ、ショーギ・エフェンディ、万国正義院の著作と、アブドルバハが実際に発言された内容であることが認証された講話である。バブとバハオラによって書かれた書物は神の啓示とみなされ、アブドル・バハの書物と講話、ショーギ・エフェンディの著作は権威ある解釈とみなされ、万国正義院の著作は権威ある立法と説明とみなされる。これらのテキストはすべて、程度の差はあれ、神の導きのもとにあることを前提としている
バハオラの最も重要な書物のいくつかは、個人と社会のための多くの法と実践を定義する
== 歴史 ==
バハイ信教の始まりは、バブの宗教とそれに先立つシェイキ運動に遡る。バブは商人であり、1844年に自分が神からの新しい啓示の担い手であると教えを説き始めたが、イランのイスラム聖職者の大多数から拒絶され、異端の罪で公開処刑されるに至った
バハイ共同体は、1892年のバハオラの死後まで、ほとんどがイランと[[オスマン帝国|オスマントルコ帝国]]に限定されており、その時点でアジアとアフリカの13
=== バブ ===
1844年5月22日の夜、シーラーズのセイェド・アリー=ムハンマドが最初の改宗者を得、後にシーア派イスラム教のマハディーの地位を主張することにちなんで「バブ」(الباب「門」)と呼ばれるようになった
バハイは、バブがその書物で、「神が顕し給う御方」という概念を導入したことから、バブをバハイ信教の先駆者と見ている
=== バハオラ ===
ミルザ・ホセイン・アリ・ヌリはバブの初期からの信者の一人で、その後、バハオラという称号を名乗った。1852年8月、数人のバビが国王ナセル・アル=ディン・シャー・カジャールを暗殺しようとしたが失敗した
その後まもなくイランから追放され、オスマントルコ帝国のバグダッドに渡った
コンスタンティノープルでの滞在は4
バハオラが余生を過ごしたのは、現在のイスラエル、当時のオスマントルコ帝国の流刑地アッカ、またはその近くであった。当初は厳しく苛酷な監禁生活を送った後、公式にはまだ囚人であったものの、アッカ近郊の家に住むことを許された<ref>{{Cite encyclopedia |df=ja |last=Cole |first=Juan |author-link=:en:Juan Cole |date=1988-12-15 |publication-date=2011-08-23 |encyclopedia=[
バハオラは生涯に18,000以上の書物をアラビア語とペルシャ語で著し、その内、英語に翻訳されているのはたった8%である
=== アブドル・バハ ===
アッバス・エフェンディはバハオラの長男で、アブドル・バハ(「バハのしもべ」)の称号で知られている。彼の父は、バハイ共同体の指導者としてアブドル・バハを任命する遺言を残した
2020年現在、アブドル・バハの言葉を含む38,000以上の文書が現存しており、その長さは様々である<ref name="Yazdani_2022">{{Cite book2 |df=ja |last=Yazdani |first=Mina |date=2022 |chapter=Ch. 7: The Writings and Utterances of ʻAbdu'l-Bahá |pages=88–104 |title=The World of the Bahá'í Faith |publisher=[
=== ショーギ・エフェンディ ===
バハオラの『アグダスの書』(最も聖なる書)と『アブドル・バハの遺訓』は、バハイの行政秩序の基礎となる文書である。バハオラは選挙で選ばれた[[万国正義院]]を制定し、アブドル・バハは任命された世襲の守護者制度を制定し、二つの機構の関係を明確にした
ショーギ・エフェンディは生涯を通して、バハイの文献を翻訳し、バハイ共同体を拡大するための世界的な計画を立て、バハイ世界センターを発展させ、世界中の共同体や個人と膨大な通信を行い、宗教の行政的構造を構築し、万国正義院の選出のために共同体を準備した
1937年、ショーギ・エフェンディは北米のバハイのための7年計画を開始し、1946年にも同様の計画を開始した。1953年、彼は最初の国際的な計画、10年聖戦を開始した。この計画には、バハイ共同体や組織の拡大、バハイの文献のいくつかの新しい言語への翻訳、以前は未開拓だった国々へのバハイのパイオニアの派遣など、非常に野心的な目標が含まれていた
=== 万国正義院 ===
1963年以来、万国正義院はバハイ信教の長として選出されている。この機構の一般的な機能は、バハオラの書物によって定義され、アブドル・バハとショーギ・エフェンディの書物で明確にされている。これらの機能には、ティーチングや教育、バハイの法の実施、社会問題への対処、弱者や貧しい人々への配慮などが含まれる<ref>{{Cite encyclopedia |df=ja |last=Momen |first=Moojan |author-link=:en:Moojan Momen |date=1989 |article=BAYT-AL-ʿADL (House of Justice) |article-url=https://iranicaonline.org/articles/bayt-al-adl-house-of-justice-a-bahai-administrative-institution |encyclopedia=[
1964年に始まった9年計画から始まり、万国正義院は、一連の複数年の国際計画を通してバハイ共同体の活動を指揮してきた
毎年4月21日に、万国正義院は世界中のバハイ共同体にレズワン・メッセージを送り
地方、地域、国家レベルで、バハイは宗教の諸事を運営する9人の精神行政会のメンバーを選出する。また、教えを広め、共同体を保護する役目を実行するよう任命された個人が、地方および国際レベルを含む様々なレベルで働いている。後者は聖職者として奉仕するのではない。バハイ信教には聖職者はいないからである
1968年にバハイとなり、2007年に亡くなった[[サモア]]の[[マリエトア・タヌマフィリ2世]]は、バハイ信教を受け入れた最初の国家元首である<ref>{{Cite book2 |df=ja |last=Hassall |first=Graham |date=2022 |chapter=Ch. 48: Oceania |pages=591–602 |title=The World of the Bahá'í Faith |publisher=[
== 人口統計 ==
2020年頃の時点で、世界には約800万人のバハイがいた
全世界のバハイ人口
19世紀にバハイ信教が誕生してから1950年代まで、バハイの大部分はイランにおり、イラン以外からの改宗者は主にインドや西欧諸国にいた
しかし、その成長は平坦なものではない。1920年代後半から1980年代後半にかけて、この宗教は[[ソビエト連邦|ソ連]]主導の東欧圏で禁止され、信者は嫌がらせを受け<ref name="Kolarz">{{Cite book2 |df=ja| last=Kolarz| first=Walter| author-link=:en:Walter Kolarz |title=Religion in the Soviet Union |publisher=St. Martin's Press |series=Armenian Research Center collection |year=1962 |pages=470–473 |oclc=254603830}}</ref><ref>{{Cite encyclopedia |df=ja |last=Momen |first=Moojan| author-link=:en:Moojan Momen |date=1994 |year=1994a |title=Turkmenistan |encyclopedia=draft "A Short Encyclopedia of the Baha'i Faith" |url=https://www.momen.org/relstud/turkmnst.htm |access-date=2022-07-28}}</ref><ref name="hass">{{Cite journal2 |df=ja | last = Hassall| first = Graham| title = Notes on the Bábí and Baháʼí Religions in Russia and its Territories| journal = Journal of Baháʼí Studies| volume = 5| issue = 3| pages = | date = 1992| url = http://bahai-studies.ca/journal/files/jbs/5.3%20Hassall.pdf |archive-url=https://web.archive.org/web/20110706164853/http://bahai-studies.ca/journal/files/jbs/5.3%20Hassall.pdf |archive-date=2011-07-06| access-date =2022-07-21}}</ref>、その後、1970年代から1990年代にかけて、サハラ以南のアフリカのいくつかの国でそれは再び起こった<ref name="Smith_Momen_1989" /><ref>{{Cite web2 |df=ja | last =compiled by Wagner | first = Ralph D. | title = NIGER | work = Synopsis of References to the Baháʼí Faith, in the US State Department's Reports on Human Rights 1991–2000 | publisher = Baháʼí Library Online | url = http://bahai-library.com/documents/hr/hr-niger.htm | access-date = 2008-05-04}}</ref>。最も激しい反対運動はイランと近隣のシーア派が多数を占める国々で起こっており<ref>For one recent published study see: {{Cite journal2 |df=ja | last = Morlock| first = Naghme Naseri| title = Religious Persecution & Oppression: A Study of Iranian Baha'ís' Strategies of Survival| journal = Journal of Hate Studies| volume = 17| issue = 2| pages = 15–24| date = 2021-12-06| doi = 10.33972/jhs.201| s2cid = 245113244| doi-access = free}}</ref>、一部の学者、監視機関、人権団体によって[[ジェノサイド]]の試みとみなされている<ref name="Affolter_2005" /><ref>{{Cite web2 |df=ja| last =Dallaire| first =Roméo| author-link =:en:Roméo Dallaire| title =Baha'i People in Iran—Inquiry| work =Statements from Roméo Dallaire| publisher =The Liberal caucus in the Senate| date =2011-11-29| url =http://www.liberalsenateforum.ca/In-The-Senate/Statement/14788_Bahai-People-in-IranInquiry| access-date =2012-03-28| url-status =dead| archive-url =https://web.archive.org/web/20140106032336/http://www.liberalsenateforum.ca/In-The-Senate/Statement/14788_Bahai-People-in-IranInquiry| archive-date =2014-01-06}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja | title =Genocide and politicide watch: Iran | publisher =Genocide Watch; The International Alliance to End Genocide | date =2012-03-28 | url =http://www.genocidewatch.org/iran.html | access-date = 2012-03-28}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja| last = Seyfried | first = Rebeka | title =Progress report from Mercyhurst: Assessing the risk of genocide in Iran | work =Iranian Baha'is | publisher = The Sentinel Project for Genocide Prevention | date =2012-03-21 | url =http://thesentinelproject.org/progress-update-from-mercyhurst-assessing-risk-of-genocide-iran/ | access-date = 2012-03-28}}</ref>。一方、他の時代や場所では、この宗教は急成長を遂げている。1989年、万国正義院は[[ボリビア]]、[[バングラデシュ]]、[[ハイチ]]、[[インド]]、[[リベリア]]、[[ペルー]]、[[フィリピン]]、[[台湾]]を、宗教の成長が過去数十年で顕著であった国として挙げた<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.bahai.org/library/authoritative-texts/the-universal-house-of-justice/messages/19890421_001/1#313524548|title={{lang|ar|Riḍván 1989 – To the Bahá'ís of the World | Bahá'í Reference Library}}|website=www.bahai.org|access-date=2024-03-13}}</ref>。バハイの情報源は1991-1992年に「500万人以上」のバハイがいると主張した<ref>{{Cite news2 |df=ja |author=Baháʼí World News Service |title=How many Baháʼís are there? |publisher=Baháʼí International Community |date=1992 |magazine=The Baháʼís |page=14 |url=http://www.bahai.com/thebahais/pg14.htm |archive-date=2015-07-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150717184758/https://bahai.com/thebahais/pg14.htm}}</ref>。しかし、2001年頃から万国正義院は、単に公認信者の人口や地方行政会の数よりも、むしろ活動のレベルに関する共同体の統計を優先している<ref>{{Cite book2 |df=ja |last=Stockman |first=Robert |author-link=:en:Robert Stockman |date=2022 |year=2022a |chapter=Ch. 45: Latin America and the Caribbean |pages=557–568 |url=https://www.routledge.com/The-World-of-the-Bahai-Faith/Stockman/p/book/9781138367722# |title=The World of the Bahá'í Faith |publisher=[[:en:Routledge]] |location=Oxfordshire, UK |isbn=978-1-138-36772-2 |editor-last=Stockman |editor-first=Robert H. |editor-link=:en:Robert Stockman }}</ref><ref>{{Cite book2 |df=ja |last=Stockman |first=Robert |author-link=:en:Robert Stockman |date=2022 |year=2022b |chapter=Ch. 46: North America |pages=569–580 |url=https://www.routledge.com/The-World-of-the-Bahai-Faith/Stockman/p/book/9781138367722# |title=The World of the Bahá'í Faith |publisher=[[:en:Routledge]] |location=Oxfordshire, UK |isbn=978-1-138-36772-2 |editor-last=Stockman |editor-first=Robert H. |editor-link=:en:Robert Stockman }}</ref><ref>{{Cite book2 |df=ja |last=Hassall |first=Graham |date=2022 |chapter=Ch. 47: North East Asia |pages=581–590 |url=https://www.routledge.com/The-World-of-the-Bahai-Faith/Stockman/p/book/9781138367722# |title=The World of the Bahá'í Faith |publisher=[[Routledge]] |location=Oxfordshire, UK |isbn=978-1-138-36772-2 |editor-last=Stockman |editor-first=Robert H. |editor-link=:en:Robert Stockman }}</ref>。
バハイはどの国でも人口の大多数を占めるわけではなく<ref>{{Cite book2 |df=ja |editor-last=Park |editor-first=Ken |year=2004 |title=World Almanac and Book of Facts |publisher=World Almanac Books |location=New York |isbn=0-88687-910-8 |url=https://archive.org/details/2004worldalmanacbook00newy |url-access=registration }}</ref>、ほとんどの場合、その国の総人口のごく一部を占めるに過ぎないため<ref>{{Cite web2 |df=ja |author=Association of Religion Data Archives |year=2010 |title=Most Baha'i Nations (2010) |url=http://www.thearda.com/QL2010/QuickList_40.asp|archive-url=https://web.archive.org/web/20220427001103/https://www.thearda.com/QL2010/QuickList_40.asp |archive-date=2022-04-27 |access-date=2022-08-14}}</ref>、過少報告の問題がある<ref>{{Cite report2 |df=ja | editor-last = Hackett| editor-first = Conrad| editor-last2 = Grim| editor-first2 =Brian J. | title = The Global Religious Landscape: A Report on the Size and Distribution of the World's Major Religious Groups as of 2010| pages = 53–56 <!-- many other pages report various specific examples across many religions -->| publisher = Pew Research Center’s Forum on Religion & Public Life |via=Boston College| date = December 2012| url = https://www.bc.edu/content/dam/files/centers/jesinst/pdf/Grim-globalReligion-full.pdf| access-date =2022-08-16}}</ref>。さらに、独自の課題に直面している社会では、少数派の間で信者の密度が最も高い例もある<ref name="Kolodner">{{Cite web2 |df=ja | last =Kolodner| first =Alexander| title =The Baha'i Faith Compared to Race in American Counties| date =2014-05-01| url =https://sites.tufts.edu/gis/files/2014/11/Kolodner_Alex.pdf| access-date =2015-03-18}}</ref>{{sfn|Smith|2022b|p=619}}。
== 社会的実践 ==
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以下は、バハオラの教えのなかから、信者に要求される、または奨励される個人的行動に関するいくつかの例である。
* 15歳以上のバハイは、決められた文言と形式に沿って、毎日、必須の祈りを個人的に唱える
* 日々の必須の祈りに加えて、バハイは毎日、祈り、瞑想し、聖典を学ぶ
* {{Anchors|十九日間の断食}}成人バハイは、毎年、3月の日中に19日間の[[断食]]を行う。しかし、いくつかの例外がある
* バハイの埋葬には、土葬の際に特定の祈りを唱えるなど、特定の決まりがある。遺体に防腐処理を施すことや火葬は強く反対される
* バハイは、未返済の負債を返済した後、快適に暮らすために必要な額を超える富に対して19%の自発的な支払いをしなければならない。その支払いは万国正義院に行く
=== 禁止 ===
以下は、バハオラの教えで禁止または推奨されない、個人的な行為である。
* 陰口と噂話は禁止され、非難される
* 飲酒と、酒を売ることは禁止される
* 性交渉は夫と妻の間でのみ許されており、その結果、婚前、婚外、同性愛の性交渉はすべて禁じられている
* 党派政治への参加は禁止される<ref>{{Cite book2 |df=ja |first=Mike |last=McMullen |title=The Baháʼís of America: The Growth of a Religious Movement |date=2015 |url=https://archive.org/details/bahaisofamericag0000mcmu |publisher=NYU Press |pp=69, 136, 149, 253–254, 269 |isbn=978-1-4798-5152-2 |url-access=registration }}</ref>。
* 職業としての物乞いは禁じられている
祈りや断食のような個人的な法の遵守は、個人の責任である
『アグダスの書』(最も聖なる書)の法のいくつかは、現時点でも適用されるが、放火や殺人に対する罰のような他の法は、主として、バハイ社会が存在することに依存している
=== 結婚 ===
バハイ信教における結婚の目的は、主に男女間の精神的な調和、親交、和合を育み、子を育てるための安定した、愛に満ちた環境を提供することである
結婚を考えているバハイは、結婚を決める前に相手の性格をよく理解するように求められている
トランスジェンダーの人々は、医学的に移行し、性転換手術を受けた場合、バハイ信教における自分の性の承認を得ることができる。性転換手術後、彼らは移行したとみなされ、バハイの結婚をすることができる<ref>{{Cite web2 |df=ja |date=2002-12-26 |title=Transsexuality |url=http://bahai-library.com/uhj_transsexuality |publisher=[
=== 仕事 ===
バハオラは[[托鉢]]や禁欲的な生活を禁じている
=== 礼拝の場 ===
現在、ほとんどの共同体におけるバハイの祈りの会は、人々の家やバハイ・センターで行われているが、いくつかの共同体では、バハイ礼拝堂(バハイ寺院としても知られている)が建てられている<ref name="Afnan_2022">{{Cite book2 |df=ja |last=Afnan |first=Elham |date=2022 |chapter=Ch. 39: Devotional Life |pages=479–487 |title=The World of the Bahá'í Faith |publisher=[
すべてのバハイ礼拝堂は、9つの側面(九角形)の形をしており、外へと続く9つの通路とそれらを囲む9つの庭がある
=== 暦 ===
[[バハイ暦]]は、バブによって制定された暦に基づいている。一年は19
19の月のそれぞれは神の属性である名前が与えられており、いくつかの例にはバハ(栄光)、イルム(知識)、ジャマール(美)などがある
=== シンボル ===
この宗教のシンボルは、数値の9とともに、アラビア語のバハ(بهاء「輝き」または「栄光」)に由来する。この数字とバハオラの名前とのつながり、また9が最高の一桁であり、完全性を象徴することから、この宗教の最も一般的なシンボルは九芒星であり、バハイの礼拝堂の構造は九面である
リングストーンのシンボルと最大名のカリグラフィーにもしばしば遭遇する。リングストーンのシンボルは、2つの五芒星からなり、その形は神、神の顕示者、人間の世界を想起させることを意味する様式化されたバハが散りばめられている
=== 社会経済的発展 ===
その創始以来、バハイ信教は女性に大きな自由を与えることから始まる社会経済的発展への関わりを持っていた
1983年10月20日付けの万国正義院からのメッセージが発表されたとき、信教は活動の新しい段階に入った。バハイは、バハイの教えと互換性のある、彼らが住んでいる共同体の社会的、経済的発展に関与することができる方法を模索するように促された。1979年には世界中で129のバハイの社会経済的発展プロジェクトが公式に認められた。1987年までに、公式に認められた発展プロジェクトの数は1482まで増加した
現在の社会的行動の取り組みには、保健、衛生、教育、男女平等、芸術とメディア、農業、環境などの分野での活動が含まれる
=== 国際連合 ===
バハオラは、人類の集団的生活のこの時代における世界政府の必要性について書いている。この強調のため、国際的なバハイ共同体は、[[国際連盟]]や[[国際連合|国連]]のような組織を通じて国際関係を改善する努力を支援することを選択したが、国連の現在の構造や憲法については若干の留保がある
* [[国連児童基金]]
* [[国際連合婦人開発基金|国連女性開発基金
* [[国連経済社会理事会]]
* [[国連環境計画]]
* [[世界保健機関]]
バハイ国際共同体は、[[ニューヨーク]]と[[ジュネーヴ|ジュネーブ]]の国連に事務所を置き、[[アディスアベバ]]、[[バンコク]]、[[ナイロビ]]、[[ローマ]]、サンティアゴ、[[ウィーン]]にある国連地域委員会やその他の事務所に代表を派遣している
== 迫害 ==
バハイたちは、イスラム教の指導者たちがバハイ信教を独立した宗教として認めず、むしろイスラム教からの背教としてみなしている、イスラム教が多数を占める国々で迫害され続けている。最も深刻な迫害はイランで起こっており、1978年から1998年の間に200人以上のバハイが処刑された
=== イラン ===
バハイに対する最も永続的な迫害は、この宗教の発祥地であるイランである
[[モハンマド・レザー・パフラヴィー|モハマド・レザー・パフラヴィー]]の治世の間、イランの経済的困難と成長する民族主義運動から注意をそらすために、バハイに対する迫害キャンペーンが開始された
1979年の[[イスラム革命]]以来、イランのバハイたちは定期的に家を荒らされたり、大学への通学や政府の仕事に就くことを禁止されており、数百人が宗教的信条のために(最近ではスタディサークルへ参加したために)実刑判決を受けている
米国のパネルによると、イランにおけるバハイへの攻撃は、[[マフムード・アフマディーネジャード|マフムード・アフマディネジャド]]大統領の下で増加した
2008年5月14日、イランのバハイ共同体のニーズを世話する「フレンズ」として知られる非公式団体のメンバーが逮捕され、[[エヴィン刑務所]]に連行された
イラン政府は、バハイ信教は宗教ではなく、政治的組織であると主張しており、それゆえ少数派の宗教として認めることを拒否している
2019年、イラン政府はバハイがイラン国家に合法的に登録することを不可能にした。イランにおける国民IDカードの申請には、「その他の宗教」という選択肢が含まれなくなり、事実上、バハイ信教は国家に承認されなくなった
=== エジプト ===
1920年代、エジプトの宗教裁判は、バハイの「法、原則、信念」の性質により、バハイ信教をイスラム教から完全に分離し独立した新しい宗教として認めた。バハイの機構や共同体の活動は、1960年以来、エジプトの法律では違法とされている。バハイ・センター、図書館、墓地など、バハイ共同体の財産はすべて政府に没収され、バハイを背教でもって告発する[[ファトワー]]が発行されている<ref>{{Cite web2 |df=ja |author=Bureau of Democracy, Human Rights and Labor |date=2013 |title=International Religious Freedom Report for 2013 |access-date=2015-04-24|url=https://2009-2017.state.gov/j/drl/rls/irf/religiousfreedom/index.htm#wrapper |publisher=[
[[エジプトIDカード論争]]は、1990年代に政府が身分証明書の電子処理を近代化したときに始まり、文書にはその人の宗教をムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒(政府によって公式に認められている、三つの宗教)のいずれかとして記載しなければならないという事実上の要件が導入された。その結果、バハイは、バハイの宗教原則に抵触する、自らが信仰する宗教を偽るということをしない限り、自国での権利行使に必要な政府の身分証明書(国民IDカード、出生証明書、死亡証明書、結婚・離婚証明書、パスポートなど)を取得することができなくなった。文書がなければ、雇用、教育、病院での治療、国外への旅行、投票において、その他さまざまな困難があった
== 脚注
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em|refs=
<ref name="blist">{{blist
|{{Cite news2 |df=ja | title=Persia – The Journal de Constantinople| newspaper=The Guardian| location=London, UK| page=2| date=1852-11-03| url=https://www.newspapers.com/clip/10893156/hundreds_of_babis_executed_babibahai/| access-date=2022-09-06 |via=Newspapers.com}}
|{{Cite news2 |df=ja | title=Persia| newspaper=The Sun| location=Baltimore, MD| page=1| date=1852-11-17| url=http://www.newspapers.com/clip/871886/hundreds_of_babis_killed_following/| access-date=2022-09-06 |via=Newspapers.com}}
|{{Cite news2 |df=ja | title=Turkey| newspaper=London Standard|location=London, UK|page=3|date=1852-12-20| url=http://www.britishnewspaperarchive.co.uk/search/results?basicsearch=%22babs%20was%20awful%2C%20and%20that%2020%2C000%20or%2030%2C000%22&phrasesearch=%22babs%20was%20awful%2C%20and%20that%2020%2C000%20or%2030%2C000%22&sortorder=score&o=date&d=asc| access-date=2022-09-06 |via=BritishNewspaperArchive.co.uk}}{{要購読}} }}</ref>
}}
== 参考文献 ==
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*{{Cite book2 |df=ja |last=Smith |first=Peter |author-link=:en:Peter Smith (historian) |date=2022 |year=2022b |chapter=Ch. 50: Southeast Asia |pages=614–621 |url=https://www.routledge.com/The-World-of-the-Bahai-Faith/Stockman/p/book/9781138367722# |title=The World of the Bahá'í Faith |publisher=[[:en:Routledge]] |location=Oxfordshire, UK |isbn=978-1-138-36772-2 |editor-last=Stockman |editor-first=Robert H. |editor-link=:en:Robert Stockman }}
*{{Cite book2 |df=ja |last=Warburg |first=Margit |author-link=:en:Margit Warburg |date=2001 |title=Baha'i |series=Studies in Contemporary Religions |editor-last=Introvigne |publisher=Signature Books |location=US}}
*{{Cite book2 |df=ja |last=Warburg |first=Margit |author-link=:en:Margit Warburg |date=2006 |title=Citizens of the world: a history and sociology of the Bahaʹis from a globalisation perspective |publisher=Brill |isbn=978-90-474-0746-1 |location=Leiden |oclc=234309958}}
*{{Cite encyclopedia |df=ja |last=Smith |first=Peter |author-link=:en:Peter Smith (historian) |year=2000 |title=A Concise Encyclopedia of the Baháʼí Faith |publisher=Oneworld Publications |location=Oxford, UK |isbn=1-85168-184-1 |url=https://books.google.com/books?id=Yhy9DwAAQBAJ}}
*{{Cite journal2 |df=ja |last=Schaefer |first=Udo |title=An Introduction to Bahā'ī Law: Doctrinal Foundations, Principles and Structures |journal=Journal of Law and Religion |volume=18 |issue=2 |pages=307–72 |date=2002 |jstor=1602268 |doi=10.2307/1602268 |s2cid=154511808}}
== 関連項目 ==
{{ウィキプロジェクトリンク|バーブ教・バハーイー教|[[画像:Bahai star.svg|34px]]}}
{{Commons&cat|Bahá'í Faith}}
* [[モナ・マフムードニジャード]]、[[ダビフッラー・マフラーミ]] -
* [[エジプトIDカード論争]] - バハイ教徒の扱いを巡って論争になった。
* [[藤田左弌郎]]
* [[:en:Bahá'í Faith in Japan]] - 日本とバハイ信教との関係。
* [[バハーイー教徒に対する迫害|バハイ教徒に対する迫害]]
* [[カリル・グリーン]] - 元[[MLB]]のプロ野球選手。両親と自身が敬虔なバハイ教徒として知られる。
== 外部リンク ==
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