猪木熊山

幕末から明治時代の医者

猪木 熊山(いき ゆうざん、天保14年(1843年) - 明治36年(1903年10月14日)は、幕末から明治時代の医者。本名は邦介。紀伊国新宮(現和歌山県新宮市)出身。

大阪の漢学者森田節斎漢学を学び、漢籍に通暁していたらしく、古屋照治郎の著書『近畿医家列伝』にも「漢学の造形最も深し」と紹介されている。医学については山田山東から学び、『脚気要論』を著した。

参考文献 編集